エリア・スレイマン監督『D.I.』
全編は、不条理コメディと分類できそうな、不可思議なユーモアで貫かれている。冒頭早々、サンタクロースが現代のキリスト生誕の地ナザレの丘で、民衆に殺される。この強烈なインパクトは、後期ブニュエル作品のような、暗喩と風刺の世界を予感させる。だがメイン・タイトル後に展開する、長めのカットで構成される笑いの世界は、ブニュエルのように明快なエピソード構成を取っていない。狂言回しとなる主人公もいないようで、隣人同志の諍いや、チェック・ポイントで隔てられた恋人たちの逢引きなどが、飄々かつ淡々と描写されてゆく。パレスチナ映画として身構えてスクリーンに臨む観客は、多少の戸惑いを覚えるだろう。笑って良いのだろうか?裏には抑圧に苦しむ人々の、声高に語れないメッセージが込められているのではないか?
『D.I.』には政治・社会状況を明快に説明するエピソードは皆無に近い。しかも主要な舞台はナザレや、イスラエル内のパレスチナ人居住地東エルサレム、双方の境界となるチェック・ポイント。この設定では、政治・社会的隠喩を求めたくなるのも当然か。もっともそれは日本人がヘブライ語もアラビア語を理解しないため、登場人物の人種を識別できないことにも由来するのだろう。関心のある読者には、昨年公開された記録映画『プロミス』で予習しておくことをお薦めする。東エルサレムをめぐる状況が、チェック・ポイント通過の条件も含め、詳しく描かれている。
後半に入り、作品全体はチェック・ポイントで逢引きを重ねる男の視点に集約されてくる。チェック・ポイントを越えてゆく赤い風船、イスラエル兵の軍事演習に突如あらわれ、ハリウッド映画に登場するニンジャよろしく、兵士を倒してゆく黒ずくめの女性など、普通一本の映画に共存することのないイメージが、ゆったりしたトーンに突如として登場するのも、作品の一人称性を前提とすれば、奇を衒った作為と批判すべきではないのだろう。
こうしたとぼけたユーモアは、初期のジャームッシュ作品に通じる空気がある。監督のエリア・スレイマンは1982年から93年までニューヨークに住み、短編映画を撮っていたというから、ジャームッシュ、スパイク・リーら、ニューヨーク・インディーズ作家が台頭する空気の洗礼を受けていたのだろう。そこに留意すると、『D.I.』に”パレスチナ映画”というレッテルを貼り、特別な作品扱いすることは、監督の本意ではない気がしてくる。
監督自身が演じる「男」が、終始無言のポーカー・フェイス。キートンやタチのコメディ映画を引き合いに出す評がフランスを中心に出ているようだが、カメラを見つめるクローズ・ショットが多用されている点が異質だ。これはナンニ・モレッティ監督が、自分の出演カットで多用するのと同じ手法だ。映画のラストで監督の実の母親が登場し、エンド・タイトルに「亡き父に捧ぐ」の献辞が掲げられる。そしてこの男の役名が"ES"(エリア・スレイマンのイニシャル?英語のbe動詞に相当するラテン語の動詞"sum"の二人称単数現在形?フロイト心理学で自我の一形態を指す、ドイツ語の三人称単数中性代名詞??)とクレジットされているのを目の当たりにしたとき、モレッティ映画との親近性は明確になる。
こうしてみると、『D.I.』の世界は監督が抱く、二つの問題提起に立脚しているようだ。第一に不安定で流血と惨事が日常化した社会に生きる人間は、”自分探し”をする権利はないのか?という問いかけ。10年を越えるニューヨーク生活を経て、この映画をフランスと合作で作った監督は、外国では「パレスチナ人」と括られ、民族の代弁者である発言を求められてきたことだろう。しかし外国での生活は、監督自身にとって、祖国の状況を離れ、自分を追求し表現する自由を獲得する体験でもあったはずだ。それでは現代パレスチナの切迫する環境を生きる人間は、祖国の社会から疎外感を感じてはならないのか?この映画の徹底した一人称性は、紛争の日常化により、手垢に塗れた政治性に拘泥することを拒む自由を、祖国で実現するための抵抗として、意味を持つことになる。なおこの作品は、イスラエル側のライン・プロデューサが参加した、フランス―パレスチナ合作だが、パレスチナの映画がイスラエル・ユダヤの映画人の協力で製作されることは、珍しいことではないことを付言しておく。
第二に、80年代以降政治的無関心が強まってゆく風潮のなかで、善悪・白黒が明快ではない社会で、「私」はどのような立場を取れば良いのか、という、ヨーロッパの知識階級が抱える迷いとためらいに通じるわだかまり。映画で描かれる土地買収をめぐる暴力とテロが、パレスチナ対イスラエルではなく、パレスチナ人同士の争いであることは重要である。イスラエルがパレスチナを弾圧している事実は揺るがせようがない。だが弾圧を受けるパレスチナ側は一枚岩ではない。監督にとって「パレスチナ人を代表して発言する」ことは不可能であるばかりでなく、虚偽の発言をすることをも意味するのだ。
ここにパレスチナの社会状況は、監督の中で内面化される必要を生じる。語り得るのは「私にとっての東エルサレム」だけである。描かれた事実を、客観的事実と装うこと自体、欺瞞、プロパガンダに通じる道なのだ。『D.I.』のスタイルは記録映画出身の監督ならではの、現実を捉えることに対する誠実な知性から、生まれているといえるだろう。
「私にとっての……」というスタイルは、モレッティが一貫して保ち続けているスタンスでもある。ここに『D.I.』がカンヌで2賞を獲得した理由を見ることができる。抗いがたい社会の流れに対する無力感、そのなかで如何に生きるべきか。この問いは社会主義崩壊、湾岸戦争、旧ユーゴ紛争、そしてユーゴ空爆に至った、90年代ヨーロッパ知識人に共通した、切迫した問題意識なのだ。そう考えてゆくと、『D.I.』は難解な映画ではない。スレイマン監督が、自分のイメージと心情をナイーヴなまでにぶつけた「親愛なる日記」であると言って良いのではないか。
この映画が持っている割り切れなさを、そのまま受けとめることができる日本の観客は、むしろ 政治の季節以降に生まれ、米英軍のイラク侵略戦争と、朝鮮半島の緊張の空気の中で生きている、21世紀の若者世代なのかもしれない。
[『キネマ旬報』第1381号(2003年5月下旬号)]
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