Office NESHA presents movie guide
Jan./Mar. 2000

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
詳細はこちらをご覧下さい

作品タイトルをクリックすると、紹介記事にジャンプできます。

人間の屑
ユリョン
クリムゾン・リバー
TUVALU ~ ツバル[ファィト・ヘルマー監督インタヴュー]
いつか来た道



人間の屑(2001,日本)
★★★

 『萌の朱雀』に「時間を返せ」と叫び、『M/OTHER』上映中の劇場で睡眠不足を補ったキミは、この映画が仙頭武則製作と、聞いただけで、見たい映画リストから消してしまうかもしれない。

  しかし早まってはいけない。信じられないだろうが、『人間の屑』は面白いのだ。面白いどころか、日本初のオフ・ビート・ムーヴィーの成功作として、映画史に名を残すに違いない傑作なのだ。

  やや時代遅れ気味のパンク・バンドの面々が荒れ狂う映像から、一転して地方都市の日本家屋でドテラを着て真っ昼間からウダウダしている主人公の姿へ。緊張感と弛み切った日常の対比。その切り替えに膝を乗り出した。

  だが冒頭の数分間、迫力を出すだけなら、そんなに難しくない。映画が進むにつれ凡庸な普通の展開に落ち着いてしまう作品を何本も見てきた。

 この映画は違う。90分間、冒頭のパワーとエネルギーが落ちることなく、エンド・タイトルまで持続するのだ。

  MTVというよりサイケと表現したい、音楽の魂を持った映像。バンドを辞めてプータローになり、他人に頼って生きてゆく主人公の情けなさ。それでも捨てきれない、甘えすれすれの自分のプライド、都合のいいときだけエラソウで、そうでないときは黙り込んでしまう身勝手さ…こんな若い男のエゴが、不気味な女たちの描写と共に、劇場空間にぶちまけられる。

  主人公を演じる村上淳は、町田康というより本誌連載コラムの宮本浩次のような風貌で、少し奇矯な世界に現代的感覚を吹き込み、岸田今日子、鰐淵晴子のベテラン勢、夏生ゆうな、佐伯日菜子の個性派若手女優らが、彼を追い詰めてゆく恋人―母の女の論理をヌメリと表現している。

  自分のこどもより野良猫を大事にするようになる主人公の狂気というアブナサまでが、納得できてしまうあたり、長編初監督作品となる中島竹彦の力量、並ではない。

  やはり偏見は持ってはいけないのだ。『トレインスポッティング』をしのぐ、真のストリート・オフ・ビート・ムーヴィーを見逃すな。

(3月3日より、シネ・リーブル池袋他にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.12,2001年3月20日号]


ユリョン(1999,韓国)
★★

  昨年『U−571』の登場でにわかに脚光を浴びつつある潜水艦映画。ハワイ沖の事故で社会的にも関心を集める中、「原子力潜水艦、日本を攻撃!?」という、あまりにタイムリーな映画が、韓国からやってくる。

  その名も『ユリョン』。上官殺しの罪で死刑に処されたはずの軍人が、極秘の軍事基地で目を覚ます。彼は「幽霊(ユリョン)」という名の原子力潜水艦の乗組員に選ばれたのだ。艦長以下乗組員はコックまで全員、戸籍を抹殺され、コードネームだけでお互いを呼び合う「幽霊」たち。重要任務を荷い、目指すは対馬海峡。ところが密室と化した潜水艦の中で叛乱が起こり、極東は世界大戦勃発の危機に向かってゆく…

  とここまで読めばお分かりの通り。スタッフは、マンガ『沈黙の艦隊』を全巻読破して、シナリオを完成させたらしい。だがこの映画は盗作やパクリではない。叛乱の首謀者たる副艦長にひとり立ち向かい、戦争の危機を回避しようとするヒーローの、獅子奮迅の戦いが開始されるや、潜水艦版『ダイ・ハード』の火蓋が切って落とされるのだ。

  出てくる男たちの面構えがいい。主人公役のチョン・ユソンの躍動感溢れるタフガイぶり、立ちはだかる副艦長を演じるのは、萩原流行を細面にしたようなチェ・ミンス。二人をはじめ、出てくる俳優全員が、金太りのハリウッド・スターにはない、ハングリーさを感じさせ、男のドラマに厚みを与える。話の辻褄の合わないところや、演出の荒さ、SFXのチャチさといった欠点を補って余りある魅力だ。

   日本人としては気持ちが良いとはいえない展開もあるが、ラストのさばきが実にうまいので納得。政治的問題すら、娯楽の要素として取り込んでしまうしたたかさを、韓国映画界が身に着けた証拠として評価したい。

 『シュリ』の興奮がフロックではないと証明する、硬派アクションの佳作。この春、男と男の緊迫した対決が、国境を無化する。

  それにしてもマンガの映画化まで、隣国にしてやられ、どうする、日本映画!?

(3月3日より、シネ・リーブル池袋他にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.10,2001年3月6日号]


クリムゾン・リバー(1999,フランス)
★1/2

  息が凍てつくアルプス山麓の小村を舞台に展開される不気味な連続殺人。ふたりのはぐれ者捜査官が遭遇したのは、象牙の塔、大学のエリート主義が生み出した、歪んだ負の遺産だった…

  ワサビをピリリと効かせたような雰囲気は、アメリカで粗製濫造されているサイコものとはひと味違う。ジャン・レノの渋い存在感は往年のリノ・ヴァンチュラの面影を思わせ、『ドーベルマン』のヴァンサン・カッセルが見せるギラツキと好対照。この手の話に飽き飽きしたキミは、楽しめるかも知れない。

  だが逆を言えば、流行りのハリウッド製サスペンスの話に、往年のフランスのフィルム・ノワール・テイストで包んだだけ。もったいつけた演出に次々と画面に現れる、必然性のない鮮血ドバドバ、大詰めの唐突などんでん返しは新鮮と言うよりありきたり。

  つまり「こういうノリの映画は今までになかったから、受けるだろう」という、甘えが先立って、この映画でなければ、という魅力がないのだ。

  まして、監督マチュー・カソヴィッツが、これまでに作ってきた映画を知る者にとって、この新作は悪夢である。

  かつて彼は『憎しみ』で、おそらくフランス映画史上初めて、まともなフランス語を話せないマイノリティーのティーン・エイジャーを主役に、90年代の若者の怒りを炸裂させた。そのパワーは日本を除く全世界で『トレインスポッティング』と並ぶヒットと賞賛を受けた。

  娯楽と社会性を併せ持つ、新しい映画を切り拓くホープとなった彼だが、成功がプレッシャーになったか、続く『アサシンズ』はなんとも中途半端な出来に終わっていた。

  そしてこの『クリムゾン・リバー』である。一貫して暴力と殺人を否定しようと、時代と格闘していたマチューの姿勢は微塵もない。あるのは節操なく商業主義に魂を売り渡した、哀れな三〇代前半の監督の抜け殻だけだ。

  こんな腑抜け作品を作る若手監督の志の低さ、そしてそれを許すフランスの映画ビジネス…『憎しみ』を熱烈に支持した人間としては残念でならない。

(1月27日より、東京日比谷スカラ座他にて全国ロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.8,2001年2月20日号]


TUVALU ~ ツバル(1999,ドイツ)
★★★1/2
[ファィト・ヘルマー監督インタヴュー]

 「いまドイツ映画はアメリカの真似ばかりしているけど馬鹿げている。自分たちにしか作れないものを作ろうとしていない」

 「映画学校で師事したヴェンダーズは、ぼくに"ビデオで作れ"と盛んに薦めたけど、その理由は"安く、早く、手軽に作れるから"。表現上の理由なんか何一つない」

  現在の映画状況を意気軒昂に斬るのは、ドイツのファイト・ヘルマー監督。『TUVALU~ツバル』で長編デビューを果たした、若手実力派の斬り込み隊長だ。

 「かといって少数の映画オタクのための作品なんか作りたくない。自分の世界をファンタジーのなかに描き、芸術と娯楽という区別が無意味なものに仕上げたかった」

  今回描かれるのは、ヨーロッパにある架空の国。使用言語までデッチ上げ、日本を含む全世界で字幕ナシで公開される。

 「プールを舞台にした作品を作ろうと思って、子供の頃通ったプールに行ったら、近代化されていて味がない。それで理想的なプールを探し回り、ブルガリアのソフィアに見つけたんだ」

  かくして『ポンヌフの恋人』のドゥニ・ラヴァンを主演に迎え、東西ヨーロッパの実力派俳優で固めた、ヨーロッパ版無国籍コメディが実現。

 「ぼくはコントロール狂なんだ。なんでも自分の納得がいくまでやる。プールや意味不明な巨大な機械など、装置にもとことんこだわったよ」

  確かに奇妙な自動販売機、古めかしい爆弾など、ハイ・テクならぬロー・テクを駆使した世界は見事。キートンの喜劇映画のように大爆笑を呼びながら、フェリーニや最盛期のグリーナウェイのようなパワフルなヴィジュアルに圧倒される。

 「ある批評家が"この映画は過去10年間のヨーロッパの縮図である"と言ってね。脚本家と顔を見合わせたんだ。"オレたち、そんなもの、撮ったっけ?"ある男が恋を通じて自由を求める、単純で普遍的な話を手がけたつもりだけど、映画は無意識の内にも時代の影響を受けんだろうね」

  したたかに娯楽と芸術性と社会問題を織り込んだ、近年ヨーロッパ最強の一本だ。

(2月17日より3月23日まで、東京・シアター・イメージフォーラムにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.7,2001年2月13日号のオリジナル原稿]


いつか来た道(1998,イタリア)
★★★★

  2001年にダ・ヴィンチが生きていて『モナリザ』を描いてもだれも驚かないだろうし、『七人の侍』が新作として封切られても、ヒットもせず映画祭で賞も獲れないだろう。時代は移り変わり、世の中の趣味傾向もどんどん変化してゆくからだ。

 とは言え、人間にとって、社会にとって一番大切なことは、いつの時代にもそう変わらない。そんな大切なことを一所懸命表現しても「そんなの、当たり前じゃん!?」と無視されてしまうことが、一番危険なことだ。

 だから一番凄い革命というのは、当たり前で大切なことを、今しかできない形で表現する作品が誕生したとき起こる。そんな凄い革命を起こした一本が『いつか来た道』だ。

 本物の映画好きは、この作品が『グリーン・デスティニー』の10倍、『マトリックス』の1,000倍も革命的であることに、衝撃と興奮を抑えられず、息を荒げて劇場を後にすることだろう。

 1958年から1964年まで、イタリアのトリノを舞台に、シチリア島からやってきた兄弟の生活を描く。そこに涙が、笑いが、感動が、そして底知れぬ怒りが伝わってくる。

 日本では不当に低く評価されている『小さな旅人』のジャンニ・アメリオ監督は、「いまがどうしようもなくひどい時代である原因は、過去のあやまちにある」と、戦後イタリアの転換点となった時代に刃を立てる。

 できあがった作品は『イル・ポスティーノ』のノスタルジーや、ナンニ・モレッティ的自己韜晦は皆無。ヴィスコンティの物語とパゾリーニの社会省察を、『にっぽん昆虫記』の時代意識と共に刻み込むがごとき力強さがある。

 徹底して人物のクローズ・アップを追い続ける手持ちカメラの映像と、ステレオ音響の粋を尽くしたようなサウンド。すべてがかつてないほどにスリリングで、映画を見る歓びに満ちあふれている。

 ラストに流れる『恋の片道切符』まで、当たり前に見えて驚くほど新しい映画の魅力に圧倒され続ける。これぞSFXやデジタル化をしのぐ、映画の未来を切り拓く歴史的傑作だ。

(1月27日より2月16日まで、東京・俳優座トーキーナイトにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.6,2001年2月6日号]


(c)BABA Hironobu, 2001/ 2021. All rights reserved.
本サイトのすべてのソースを、作成者の許可なく転載・出版・配信・発表することを禁じます。


ムービー・ガイド表紙に戻る

オフィス・ネーシャ トップ・ページに戻る