Office NESHA presents movie guide
Nov. /Dec. 2002

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
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ギャング・オブ・ニューヨーク
8人の女たち
K-19
マイノリティ・リポート
ラスト・キャッスル
プロフェシー
たそがれ清兵衛
至福のとき

One Point Critics
ウエストサイド物語 デジタルリマスター版
夜を賭けて
ハリー・ポッターと秘密の部屋/さざなみ
ジョンQ 最後の決断/ショウタイム
チェンジング・レーン
ガーゴイル



ギャング・オブ・ニューヨーク(2002,米―独―仏―日)
1/2

  ヨーロッパの若手監督に「好きな監督は?」と訊くと、必ずと言っていいくらい出てくる名前がマーティン・スコセッシ。彼の新作はディカプリオとキャメロン・ディアス共演の、歴史大作だそうだ。
  舞台はアメリカ南北戦争末期のニューヨーク。アイルランド系移民と”ネイティヴ”と名乗るアングロサクソン系の民族対立がドラマの軸。
 『ゴッドファーザー』のようなギャングの抗争ではなく、貧民地域のコソ泥たちの暴力沙汰の連続は、むしろ日本の実録ヤクザ映画に近い。ところがヤクザ映画と比べてもドラマが薄く退屈で散漫。2時間40分と長いのに、メイン・キャラは極端に少なく、変化も起伏も乏しい。単純にお話しのレベルで面白くない。
  加えてディカプリオが父の敵としてつけ狙う”ギャング”の親分、ダニエル・デイ・ルイスに魅力がなさ過ぎる。いつものスコセッシ映画ならデ・ニーロが演じ、悪の魅力とアブナサを漂わせる役回りだが。デイ・ルイスは「こいつにニューヨークの縄張が守れるのか!?」と思うほど存在感が希薄。ディアスは出番すら少ないとあっては、俳優陣もいいとこなしである。
  そもそも『タクシードライバー』『レイジング・ブル』と、スコセッシの代表作はキレてる主人公が暴走し、厄介な事件を起こす映画がほとんど。一方、人間ドラマをじっくり演出しようとすると必ず失敗作となっていた。つまり彼は、水準以下のドラマ演出力を、感性と狂気とスタイルでゴマカしてきた監督名のだ。
  それを今回、「歴史大作で巨匠の仲間入りをしてやる!」とヤマっ気を出して突っ走った結果、ワケが分からない映画ができ上がった。完成が一年遅れた結果がこのテイタラクかと思うと腹が立つ。
 いっそ『グッドフェローズ』のように人間を無視してスタイリッシュな映像に徹していれば、まだマシだったのに。カッコよさの微塵もない、ただ薄汚いだけの世界に溜息が出るばかりだ。
  この駄作を褒める批評家は、スコセッシというブランドに幻惑されているバカである。

(12月21日より東京・渋谷パンテオン他全国松竹・東急洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』2003年Nos.1-2, 1月1-7日号]


8人の女たち(2002,フランス)
★★★

  最近は映画界も世知辛くなり、俳優のギャラの関係で、オール・スター・キャストは組みにくくなっている。製作費数十億円の映画でも、その三分の一近い金額を一人の主演俳優がかっさらっていく、という例も多く、その分脇の役者が甘くなりがち。たまにスターが並んでも大半がカメオ出演と、ちょっと寂しい。
 その点、『8人の女たち』はフランスを代表する女優がずらり顔を合わせる。古くは『肉体の悪魔』でジェラール・フィリップと共演したダニエル・ダリューから、ドヌーヴ、ユペール、アルダンの中堅(フランスではこの年令でも「中堅」だ!)、ベアール、ルドワイヤンら若手までが、ひとりの男をめぐり、女騒ぎを繰り広げる。
 フランス映画ならではの洒落たセリフの応酬を、若手気鋭のオゾン監督が、往年のハリウッドのスター女優へのオマージュに満ちた衣裳、パステル調のインテリアで彩る。その華やかな迷宮はクリスマス・ムービーにもってこいのゼイタクさ。名花繚乱を楽しみたい。


(11月23日より銀座テアトル西友他にてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』2003年1月号]


K-19(2002,アメリカ)
★1/2

  冷戦体制下で起きた、ソ連の原子力潜水艦事故のドラマ。「潜水艦ものに駄作なし」とは、スペクタクル映画ファンの常識であるが、かなりの異色作だ。
  前半はジェット・コースター並みの急展開。人間関係を描き込むより、建造に問題がある潜水艦を、無謀に発進させて、実験にさらしてゆく展開が、めくるめくスピードで進んでゆく。重量感より大音響とド派手な爆発を、CGを駆使した映像が、これでもかとばかりに繰り出してくる。
  ドラマの中盤、潜水艦の中の原発が事故を起こし、乗組員たちは防護服もなしで、被爆の危険も省みず、修理のために命がけで、核の恐怖渦巻く原発内部に乗り込んでゆく。ここからがこの作品の見所である。
 『トゥルー・ライズ』『トータル・フィアース』と、核爆発を題材としたハリウッド大作は少なくない。けれど被爆国日本人は「核の被害はこんなに甘くないぞ!!」と、怒りを覚えるものがほとんど。
 『K-19』にはそのいい加減さはない。10分以上原発施設内にいると死ぬ危険があると、きちんと説明され、作業で被爆し呼吸困難に陥り、皮膚がただれてしまった隊員たちの変わり果てた姿を、真正面からスクリーンに見せる。ハリウッドの娯楽映画としては異例の描写だ。
  これは、女性監督キャサリン・ビグローの趣味だろうか。『ストレンジ・デイズ』など、一貫してアクション映画を手がける武闘派。ジェームズ・キャメロンとも結婚していた時期もあり、『ターミネーター2』のラストには、ビグローとの破局の結果、キャメロンが女性不信に陥った影響があるとも噂されているほどの、猛女だとか。
  つまり『K-19』は、男なら腰が引けるような、女性週刊誌的なグロ趣味も全開に、ビグロー監督がハリソン・フォードら美男俳優をオモチャに、軍人魂と男の友情を題材に、大いに遊んだスプラッタ・ホラーなのではないか!?
  その結果、核を批判する社会派潜水艦映画ができあがるとは、不思議な偶然。ただの大作にはとどまらない、曲者映画である。


(12月12日より日比谷スカラ座他全国東宝洋画系にてロードショー)
[角川書店『東京ウォーカー』 2002年12月17日号]


マイノリティ・リポート(2002,アメリカ)
★★1/2

  冷たいアイロニーに満ちた『A.I.』の(日本を除く)世界的大コケを受け、スピルバーグが手がけた新作は『ブレード・ランナー』の原作者、ディックの短編小説の映画化だ。
  殺人を予知し、加害者を事前に逮捕することで、被害をゼロにしようとする未来世界。その「犯罪予防局」員アンダートン(トム・クルーズ)が、「未来の殺人者」として自分に逮捕指 令が下りていると知ったとき、逃亡劇が始まる。
 原作を自由に翻案した結果、「人間は自分の力で未来を変えられるか?」というテーマは後退。代わって中心となるのは、機械万能の世界で、人間が見失っている愛情の回復である。
  スピルバーグは90年代に『シンドラーのリスト』『プライベート・ライアン』と、映画史に残る名作を2本発表し、名実共に巨匠の仲間入りをした。その一方『ジュラシック・パーク』シリーズで、最新CGにも積極的に取り組んできた。
  しかし『マトリックス』以降、映画界の流れは、CGとヴァーチャル・リアリティ(擬似現実)を組み合わせた、近未来ものに主流を移してきた。どんなお伽噺を作っても、「現実性(リアリティ)」を追求するスピルバーグにとって、時代の好みは自分の愛する世界とは別物になっていったと言えるだろう。
  今回スピルバーグは持ち前の表現力で、アンダートンの逃亡劇を、スリリングに描いてゆく。捜査官たちの身につけるスーツや兵器、「スパイダー」ロボットなど、かっこよさと不気味さが混在したアイテムが、スピーディに画面を飛び回る。その力量はさすがの巨匠技だ。
  おそらくスピルバーグはこの映画で、古くから生き続ける、大切な愛情の物語を、最新技術を用いて表現することに挑戦したのだろう。その姿勢からは二一世紀を迎えて、ヴァーチャルの中で混乱している人間や社会に、彼が危機感を抱いていることが伝わってくる。
  これは巨匠になった映画青年が、時代に挑戦した問題作だ。各エピソードの関連の弱さや、ミステリーとしてはオチがあっけないなど、不満はあるのが、敢えて推薦する。


(12月7日より東京・日劇1他全国東宝洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.49, 2002年12月3日号]


ラスト・キャッスル(2001,アメリカ)
★★1/2

  脱獄ものアクションといえば、名作が多くジャンルとして確立している。しかし囚人による刑務所乗っ取りとなると、例は少ない。しかも軍法会議で有罪になった兵士たちだけが収容される軍刑務所が舞台とは、なかなかの着眼点だ。
  刑務所長は軍事オタクのクセに実戦経験ゼロの大佐。腕っこきの兵士でもある囚人相手に、権力を弄ぶ悦楽を満たすべく、囚人をイジメ放題。日本の某県留置所も真っ青である。
  そこに新たに、歴戦の勇士アーウィン中将が収監される。最初はことなかれ主義で事態を静観しているが、あまりの惨状に「あんな戦場も知らないデブに、殺されてたまるか!」と、占拠作戦を立て始める。当初はヤケを起こし卑屈になっていた囚人たちも、彼の言葉で「俺たちは軍人だ」と誇りを回復してゆく。
  このアーウィン中将役に、ロバート・レッドフォードを持ってきたことが、最大の勝因。30年以上「悩みはあっても陰はない」という、アメリカ的美男スターの座を張り続けたのもダテではない。
  彼のスターとしての資質が、今回は歴戦の勇士のカリスマ性と見事にシンクロしている。ウソくさくて、一つ間違えば不愉快になりそうな展開に「そういうのもありかも」が出てしまう。これぞスターのオーラなのだ。
  レッドフォードの資質と風格が、後半のアナログな暴動にピタッとハマる。刑務所を城(キャッスル)に見立て、中世ヨーロッパの城落としのしきたりに従い所長室を占拠しようという計画がカッコイイ。
  兵士たちは銃を使わず、手作りの武器で機関銃や催涙ガスもものかは、果てはヘリコプターまで落としてしまう。昔なつかし『風雲!たけし城』をスケール・アップし、贅肉をそぎ落としたような、無邪気な快楽が溢れている。映像もCGに多くを依存せず、スクリーンでしか味わえない躍動感で生き生きしている。最近の映画に多い、感動の押し売りがゼロなのも良い。
  正月前のどさくさに公開されるのがもったいない好篇。こういう作品を劇場で見てこそ映画ファンだ。クリスマス決戦前の仕込みデートにもお薦め。


(11月16日より渋谷東急3他全国東急洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.47, 2002年11月19日号]


プロフェシー(2002,アメリカ)


  もうひとつの『サイン』とも呼べる異色ホラー・サスペンスだ。
 『プロフェシー』とは英語で予言のこと。この映画はホラー映画式の、謎めいた予言が次々と現実になってゆく展開はとっていない。どこか皮膚感覚に訴えるような、言葉にならない、目に見えない「予言」が、映画のなかに数多くちりばめられている。
  その「予言」が現実となったとき、観客は既視感(デジャ・ヴュ)を覚えることになる。ラストに辿り着くプロセスは、怖くて絶叫したくなる、というより、異界をフワフワと漂うような不気味さを醸し出してゆく。
 『隣人は静かに笑う』(同名のテレビ・ドラマとは別物)で、日本でもカルト的人気を得たマーク・ベリントン監督は、ここで新たな仕掛けを試している。普通の映画なら状況説明でサラッと流しがちの細部を、まとわりつくような濃厚さで執拗に描いてゆく。
  その狙いは、たとえるなら、お化け屋敷に入る直前のゾクゾク感を、2時間近く持続させようというもの。つまり真の恐怖とは、目で見えるものではなく、「なにか変なものがが見えてきそう」という予感のなかにあるのだ、体感させようというわけだ。
  映画の後半になると、キリスト教国アメリカに根強い、悪魔への恐怖感が強く出てくる。そう言えば、全編に何度も登場する、地上の人間たちを見下ろすようなカメラは、悪魔が空から人間を眺め、翻弄する視点を象徴しているのではないか。
  ただ世の中には「こんなことやっても、効果が上がらないから」誰もやらないこと、というのもある。この映画は見事にその罠にはまってしまった。面白い題材なのに、見せ場になるべき箇所をサッと流し、些末なところでもったいづけた結果、全体が散漫になった。
  クライン役のリチャード・ギアは、『プリティ・ウーマン』の色男のイメージからの脱皮に成功し、今回も無色に近い存在感がいい。悪魔の謎を握るリーク博士に、七〇代を代表するハムレット俳優、アラン・ベイツ(『ゴスフォード・パーク』の執事ジェニングス役)を迎えているのも見所の一つ。ただ個人的には、彼とギアの対決場面を、じっくり見たいところではあるが。
  最後に待ち受ける大惨事が、実話に基づいていると知れば、『サイン』より恐怖もひとしおかもしれない。



(11月2日より渋谷東急他全国東急・松竹洋画系にてロードショー)
[角川書店『東京ウォーカー』 2002年11月5日号、東京ニュース通信社『テレビブロス』2002年10月23日号より]


たそがれ清兵衛(2002,日本)
★★★★

  日本映画界の重鎮、山田洋次監督が、齢七〇を越えて初めて取り組んだ時代劇『たそがれ清兵衛』は、本当の強さを内に秘めた男の魅力を、余すところなく描いたドラマに仕上がっている。
  真田広之演じる清兵衛は、不器用な下級武士。妻に先立たれ葬式代にもことを欠き、家では二人の幼い娘と、痴呆の母が待っている。その姿は、失業一歩手前の、今の日本のオヤジもかくや、のみすぼらしさである。
  そんな清兵衛のバツイチの幼なじみ朋江(宮沢りえ)を助けるため、彼女の別れた酒乱の夫(大杉漣)と果たし合いをするはめになる。それまで頼りなかった清兵衛が、一瞬の気合いに賭ける果たし合いには、椅子からとび跳ねそうになる爆発力がある。
  実は清兵衛、かつては道場まで持った剣術の師範代だったのだ。その剣の腕を聞き付けた家老は、清兵衛を刺客として利用する。しかも仇役を演じるのが、知る人ぞ知る暗黒舞踏の大家、田中泯!なまっちょろくて狂気を漂わせた風貌が不気味である。
 「人を斬るには、獣にならねばならぬ」本当は強い清兵衛は、憎しみなしに人を殺すことの異常さを知っている。だが拒めぬ藩命を受け、彼は人間の心を保ったまま人を斬るという、困難な仕事に立ち向かってゆく。こんな殺し屋の描写は、映画史上珍しい。
  クライマックス、室内で展開する一対一の勝負では、「見せるため」ではなく「殺すため」の殺陣という、前代未聞の迫力が漲る。黒澤もペキンパーも、テレビの『必殺!』シリーズもやらなかった、追い詰められた男たちの、異様な殺気が体験できる。
  また、山田監督は、『男はつらいよ』シリーズで、寅さんの恋を48回描いた、男のラブ・ストーリーの名匠。ここでも清兵衛と朋江の恋を、ニクイ演出で見せてくれる。 ダンディズムがないのに、共感できる、人間的痛みを抱えた殺し屋清兵衛こそが、21世紀のアンチ・ヒーローなのだ。硬派で古風なのに現代的な、傑作時代劇の誕生だ。


(11月2日より丸の内ピカデリー1他全国松竹洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.45, 2002年11月5日号]


至福のとき(2002,中―米)
★★★

  水商売や風俗の娘、心の病を抱えた子、グレてる年下ギャルなど、不幸の影が濃い女の子に、片思いの真っ直中にいるキミにとって、涙なくしては見られない一本である。
  女性客中心の映画館で封切られるので、ほんわか幸せ系の映画と思ったら大間違い。中国を代表するロリコン監督、チャン・イーモウが描くのは、究極のダメ男が示す、純情物語なのだ。
  主人公中年男チャオは失業者。家族に借金をせびっては煙たがれ、しかも生まれついての大ウソつきとタチが悪い。この男がズウズウしくも、幸せな結婚に憧れ、子持ちのデブ女と見合いをして、「オレは大ホテルのオーナーだ」と吹いてしまう。ウソを守り通そうと四苦八苦する様子は、どうしようもなく情けない。
  ところが相手のデブ女が、障害を抱えた(どんな障害かは敢えて伏せる)義理の娘ウー・インを、おとぎ話のシンデレラのようにイジメしているのを見たとき、ダメ男チャオの心の中でなにかが動く。失業者仲間と一芝居打ち、架空のホテルをでっちあげ、ウー・インに束の間の幸せを味合わせようと奔走を始める。
  この映画の最大のミソは、チャオがウー・インに惚れないところにある。ヨコシマな思い皆無で、ただ「この少女を、少しでも幸福にしたい」と、夢中になって努力する姿が、男心になんとも身につまされる。限りなく父性愛に近い無私の愛情が身に染みる。
  更にロリコンである一方、社会派でもあるイーモウ監督は、「金がなければ幸せになれない」という冷徹な現実を登場人物に突きつける。だからこそ、「そんなことは分かってる。でもこんなに貧しくて不幸な子を見捨てることなんかできない!」という、中年男チャンの純情が切ない。社会に握りこぶしを振り上げるのではなく、無私の愛を踏み躙る社会への静かな怒りが伝わり、無力な男の胸の痛みに涙がにじむかも。
  チャップリンの名作『街の灯』を思わせる、男の涙腺の一番弱いところを付いてくる、ニクイ映画だ。


(11月2日より東京・渋谷Bunkamuraル・シネマにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.43, 2002年10月22日号]



One Point Critics


グレースと公爵(2001,フランス)
★★★

  CGの盲点?を突き、書き割りの油絵を背景に使い、役者の演技と合成するアイデアが大成功。フランス革命の動乱と、恋を越えた男女の関係を描くクラシックな趣と繊細な光を調和させた、上品で優雅な映像は、美術品の域に達し、衣装や小道具も秀逸。革命の夢が裏切られてゆくドラマも、意外に現代的で見応えあり。

(12月14日より銀座シャンテ・シネ3にてロードショー)
[角川書店『東京ウォーカー』2003年1月1日号]

ウエストサイド物語 デジタルリマスター版(1963,アメリカ)
★★★★1/2

  テレビで見たときには、「こんなもんか」としか思わなかったが、今回大スクリーンで見直し、涙が止まらないほど感動した。ミュージカルの歴史を変えた、圧倒的ダンス・ナンバーは、劇場で初めて凄みを発揮する。

(12月14日より銀座シャンテ・シネ3にてロードショー)
[角川書店『東京ウォーカー』2003年1月1日号]

アイリス(2001,米―英)
★★

  個人を訪れる不慮の悲劇といえば、不治の病。社会的大問題である痴呆・アルツハイマー病の場合、最愛の人が壊れてゆく過程に立ち合うことで、愛が試練にさらされる。
 『アイリス』に登場する、女性小説家として功なり名を遂げたヒロインが、病に冒されてゆく姿は、とりわけ本誌の読者にはゾッとする恐怖をもたらすだろう。作家が文字を書けなくなる、自分の考えを話せなくなる様子を細かく追う展開は、白鳥が羽根をむしられるように悲痛で、残酷だ。それだけに介護に撤する夫の愛情と疲労感が、切なく迫ってくる。

(11月、東京・恵比寿ガーデンシネマにてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』2002年10月号]

夜を賭けて(2002,日―韓)
★★

  最近の日本映画には珍しい、ハングリーな人間群像を、生々しく描いた一本。重く深刻なテーマを秘めながら、全編はお祭り騒ぎのような賑わいに満ちている。
  45年ほど前の大阪に存在した「鉄屑窃盗集団アパッチ」の実録小説を、演劇界で一世を風靡した「新宿梁山泊」のスタッフが映画化。なんと撮影地に韓国を選び、大がかりなセットで、戦後の大阪を再現した。
  どん底生活を送りながら、男も女も、人間の本性を解放したように、強烈に生きる。笑い、泣き、怒鳴り、殴り合う姿が圧倒的。
  俳優たちのギラギラした目つきが素晴らしい。中でも主演の山本太郎は、過去最高の演技。なお本作は、清川虹子の遺作となった。

(11月30日より銀座シネ・ラ・セット他にてロードショー)
[角川書店『東京ウォーカー』2002年12月3日号]

ハリー・ポッターと秘密の部屋(2002,米―英)
★★★

  第一作では題材の力に惹かれ、スタッフが破格の成果を挙げたのを、偶然の産物かも知れないとも考え、控え目に評価したけれど、今回もその語り口とパワーは健在なので、本物と見ていいだろう。
(11月23日より丸の内ピカデリー1他全国松竹・東急洋画系にてロードショー)
[東京ニュース通信社『テレビブロス』2002年11月20日号]

さざなみ(2002,日本)
★1/2

  主演女優のキャスティング・ミスが致命傷。いくらなんでも存在感がなさ過ぎる。
(11月23日より東京写真美術館ホールにてロードショー)
[東京ニュース通信社『テレビブロス』2002年11月20日号]

ジョンQ 最後の決断(2002,アメリカ)
★★★

  バブル・ボケのアメリカ、不況のヨーロッパや日本の娯楽映画が、貧困=強盗殺人=大金獲得の物語ばかりになったと、うんざりしている人にお薦め。社会の矛盾を告発しながら、グッと泣かせる要素をきっちり込めた脚本を、手堅い演技と演出で見せる、新しさと古典性を両立させた佳作。デンゼルはこの演技でオスカーを獲るべきだった。
(11月23日より日比谷映画他全国東宝洋画系にてロードショー)
[東京ニュース通信社『テレビブロス』2002年11月6日号]

ショウタイム(2002,アメリカ)
★1/2

  二大スターの共演ということで、盛り上がれる人が楽しめばいい映画。昔のTVの刑事コンビ・ドラマが大好きな人なら、パロディとしても楽しめます。コメディの出来にはユルイところは多々あるけれど、肩の力を抜いたお遊びとして、他愛なく見れば良いのでは。こういう映画に目くじら立てるのは野暮の骨頂だろう。かといって強くお薦めもできないけれど。
(11月16日より渋谷パンテオン他全国東急洋画系にてロードショー)
[東京ニュース通信社『テレビブロス』2002年11月6日号]

チェンジング・レーン(2002,アメリカ)
★★1/2

  『激突!』の焼き直しアクションかと思いきや、NYを舞台にF・キャブラ以来の良き「アメリカの正義」を、現代風に問いかける、社会派サスペンスだった。社会階級や貧富の実態を、あざとくなく冷静に演出する姿勢が、娯楽映画としての完成度を上げた。サミュエル・Lは演技派に見事に脱皮している。上映時間が短くタイトなのもよい。
(11月9日より日比谷スカラ座他全国東宝洋画系にてロードショー)
[東京ニュース通信社『テレビブロス』2002年10月23日号]

ガーゴイル(2001,仏―スイス―日)


  ドラマや役者より、撮影監督アニエス・ゴダールの色彩感覚の美しさが印象に残る。
(11月2日より渋谷シネアミューズにてロードショー)
[東京ニュース通信社『テレビブロス』2002年10月9日号]



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