Office NESHA presents movie guide
Feb./ Mar. 2004

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
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パーティー・モンスター
恋愛適齢期
殺人の追憶
レジェンド・オブ・メキシコ―デスペラード
ぼくは怖くない
ゴシカ
めざめ[デルフィーヌ・グレーズ監督]
幸せになるためのイタリア語講座
アフガン零年
クリビアにおまかせ!
オアシス



パーティー・モンスター(2003、米―蘭)
★★

  90年代ニューヨークを発信地に、一大ムーブメントとなった”クラブ・キッズ”。ドラッグ・クイーンなどクウィアな扮装で毎夜クラブでバカ騒ぎを続ける生き方は、今なお日本のポップ・カルチャー・シーンに強い影響を残している。
 『パーティ・モンスター』はその仕掛け人、マイケル・アリグが、狂騒の日々の挙げ句ヤク中になり、殺人を犯すに至る悲劇を、ポップでファビュラスな映像で描いた注目作である。
  田舎から出てきたばかりのアリグの前に、ドラッグ・クイーン、ジェイムズがゴージャスなオーラをまとって登場し、観客を魅了する。だが彼は、毎夜クラブに出入りしながら、親にドラッグ・クイーンをやっていることを隠し、作家になる夢を捨てきれず、人知れず悩んでいる。対照的にアリグは、いじめられっ子だった過去から逃れるように、ニューヨークでパーティを次々プロデュースし、大マスコミから注目されるまでになる。
  全編には弾けるような青春の祝祭性が溢れている。しかし”誰も自分を分かってくれない”、と孤独感を募らせ、アリグは周囲の制止を振り切りクスリに溺れ、破滅へと進んでしまう。その姿には、日本のリスト・カッターなどに通じる痛みが溢れている。
  アリグ役に挑戦したのが『ホーム・アローン』のマコーレー・カルキン。少年のフラジャイルな心を全身で演じ、見事にイメージ・チェンジに成功した。
 21世紀の青春を切なく突く問題作。カルト・ムーヴィー化の確率は高い。


(3月27日より東京・渋谷 シネマライズにてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年5月号に一部修正]


恋愛適齢期(2003,アメリカ)
★★★

  恋はいつでも初恋だ。「今度はもっとうまく、相手のことを思いやって愛そう」と思っても、相手が違えば反応も違う。それで「こんなはずでは…」とまた迷う。人間は永遠に恋愛の初心者なのだ。
  この映画は63才の独身主義者のプレイボーイ、ハリーと50代半ばのバツイチ子持ちエリカの”初恋”を描く、大人のラヴ・ストーリー。若い男とは無縁の映画と思われそうだが、演じるのが衰えを知らぬ怪優ジャック・ニコルソンと、『アニー・ホール』などウディ・アレン映画のマドンナだったダイアン・キートンとくると、並みの映画のはずがない。抱腹絶倒の笑いの内に、胸がキュンとなり、男と女、両方の胸の痛いところを突いてくる、優れものなのだ。
  ハリーは若い女しか狙わない主義。今回の獲物は20代の美女ピートだったが、彼女の別荘に行き、母親エリカと出会う。そこで情けなくも心臓発作を起こし病院に直行。別荘で母親エリカの方と二人で静養する羽目に。しかもエリカは病院の若い医師(キアヌ・リーヴズ)にアプローチを受け、心揺れる。不思議な四角関係の中、ハリーとエリカはなぜか惹かれ合ってゆく。
  とにかく主演の二人の演技が秀逸。「オレがなんであんなババアに惚れる!?」「このあたしが、あんな軽薄オレ様男にどうして!?」と、大の大人が二人して、芽生えた恋心を受け入れられず、苦しむ様は、当人たちが大真面目になればなるほど笑える。取り繕おうとするだけ、どんどん格好悪くなってゆく姿に、「人は純粋な恋をすると格好悪くなる」という、隠れた真理が明らかになる。人間はいくつになっても、恋に弱い生き物なのだなぁと、ホッとしたりもする。
  素直になれなくて、傷つくのを恐れて、二人の心は噛み合わない。そんななか時折降るようにやってくる幸福の瞬間に思わず感激。二大スターが、絶妙の呼吸で見せる恋模様に、「オレも怖がらず恋しよう」と思うかも。『恋に落ちて』以来のハリウッドが生んだ、大人の恋のバイブルだ。片思いやすれ違いの恋に悩むキミは必見!
(3月27日より東京・丸の内ルーブルほか全国東急系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.13  3月30日号]


殺人の追憶(2003、韓国)
★★

  ソウル近郊の農村の用水溝で若い女性の全裸死体が発見される。現場叩き上げの刑事たちは怒りに燃え、人権無視スレスレの見込み捜査を続けるが、犯人はそれを嘲り笑うように、第二、第三の強姦殺人事件を引き起こす。一方ソウル市警から派遣されてきた刑事は科学的に物証を分析しながら、犯人像を浮かび上がらせようとするが、現場に髪の毛一本残さない、犯人の周到な完全犯罪に捜査は行き詰まる。捜査に関わった人間からは自殺者まで出てしまい、焦燥を隠せない刑事たちは…
  10年以上を経た今なお犯人逮捕に至っていない「ファンソ華城連続殺人事件」という現実の猟期犯罪を基に、『吠える犬は噛まない』のポン・ジュノ監督は、迫真の犯罪映画を仕上げた。『JSA』の北側将軍役が印象深いソン・ガンホ、『気まぐれな唇』で人気上昇中のキム・サンギョン、若手イケメン俳優の注目株パク・ヘイルら、韓国の新旧スターが競演。サイコ・スリラーのような青白い炎ではなく、生木が爆ぜるような真っ赤な炎を燃やしながらドラマを展開する、骨太の一編である。

(3月27日より東京・シネマスクエアとうきゅうほかにてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年4月号]


レジェンド・オブ・メキシコ―デスペラード(2004、アメリカ)
★★

  アントニオ・バンデラスが、セクシーなアクション・ヒーローとして戻ってきた! 舞台は時代不詳のメキシコ。ギターをかき鳴らしながら、巨悪を倒す、ガンマンと呼ぶには強すぎるエル・マリアッチの再来だ。
  今回の敵はなんと軍隊。殺しの依頼人はアメリカCIA。メキシコにクーデターを仕組み、大統領が退陣した後に、首謀者のマルケス将軍を殺せというのだ。このマルケス将軍こそ、エル・マリアッチの幸福を打ち砕いた憎き仇。最強の男は、昔の仲間二人だけを味方に、軍隊に立ち向かう決意をする。
  クーデター未遂の仕掛け人はサンズ捜査官。義手で器用に食事をしながら、テーブルの下で常に相手を銃で狙う、狡猾さとインチキ臭さが同居した男。演じるのは人気再燃中のジョニー・デップ。クライマックスでは視覚を失いながら、敵を撃ち殺す離れ業を見せてくれる。更に麻薬王バリーリョ役にウィレム・デフォー、アメリカから落ち延びた麻薬王の用心棒役にミッキー・ローク、エル・マリアッチの仲間の一人には『ニュー・シネマ・パラダイス』でトト少年を演じたマルコ・レオナルディと、映画ファンがよだれを垂らすキャスティング。
  女たちだって負けてはいない。サルマ・ハエックは愛のためなら国家だって敵に回す、ラテン女の激しさを快演。、バンデラスと手錠でつながれたまま、アパートの最上階から脱出するアクションは、快哉を叫びたくなる。ニュー・フェイスでは、女軍人に扮したエヴァ・メンデスも要チェックだ。
  そして全編を嵐のように飛び交う銃弾。情無用の殺しに次ぐ殺し。裏切りに次ぐ裏切り。ラテンな熱さが、キャラクターとドラマ、アクションの随所から、噎せ返るように押し寄せてくる。
  しかもこの作品はフィルムではなく、全編ソニー製のハード・ディスク・カメラで撮影されている。男たちの頬の毛穴や伝う汗までシャープに再現するデリカシーと、軍隊対エル・マリアッチの対決、軍事クーデターに反対する市民の暴動のスペクタクル映像まで、どこを取ってもフィルムで撮影したこれまでの映画に見劣りしない。「ビデオは映画ではないという時代は終わった」と実感できる。『キル・ビル』にノレなかったあなたにお薦めしたい、CGと人間、ラテンの熱気が一体となった、新世紀無国籍アクション大作だ。

(3月6日より東京・丸の内ルーブルほか全国東急系にてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年4月号]


ぼくは怖くない(2003,イタリア)
★★★

  ガブリエーレ・サルヴァトーレス。この名を聞いてピンと来る人は、相当な映画ファンだ。ロード・ムーヴィー『マラケッシュ・エクスプレス』、『マトリックス』に先んじて発表されたサイバーSF『ニルヴァーナ』など、ジャンルを問わず良質な娯楽映画を着実なペースで発表。名実共に現代イタリア映画界を代表する監督である。
  彼の新作は”イタリアのスティーヴン・キング”と呼ばれる作家の小説の映画化。『スタンド・バイ・ミー』を意識した、少年の夏休みの物語なのだが、サルヴァトーレスは原作を越えて、タフで感動的な世界を作り上げた。
  舞台は貧しい南イタリアの田舎の村。日常品を買うにも不便なほどに人里離れ、黄金の小麦畑がまばゆいほどに美しい土地だ。10才の少年ミケーレは、畑の中の廃屋のほとりに、不思議な穴を見つける。そこには自分と同じくらいの、目が見えない少年が、足を鎖でつながれ幽閉されていた。ミケーレはこの発見を誰にも話さず、少年のために食料を運び始め、二人の心は通い合い始める。
  ところが少年は富豪の息子で、身代金目当てに誘拐されていたのだ。ミケーレはその事実をテレビで偶然知ってしまう。しかも大好きな両親まで、誘拐事件の一味だったという衝撃の事実をが判明。「怖くなんかない…」自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、ミケーレは少年を救おうと、孤軍奮闘を始める。
  瑞々しく輝く夏の映像にはヴァカンス気分の楽しさがある。更に映画は、観光客には見えない、貧しいイタリアの苦悩に仮借なく斬り込んでゆく。二人の少年の友情に心を和ませつつ、大人の行動が悪いことだと感じながら、幼さゆえに何もできない…そんな男なら誰でも身に覚えのある、少年だけが抱える苦しみに胸を突かれる。そしてあっと驚くラストで言葉を失うだろう。
  ミステリーとして一流、娯楽性と社会性、芸術性をすべて備え、”イタリア映画=お涙ちょうだい”と思っている観客と、往年のイタリアの巨匠たちのファンも、きっと両方満足。近年のヨーロッパ映画界でも屈指の収穫だ。
(3月20日より東京・新宿 テアトルタイムズスクエアにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.11  3月16日号]


ゴシカ(2003、アメリカ)
★★

  犯罪心理学者ミランダは、女子刑務所で男にレイプされる幻想に取り憑かれた囚人、クロエの治療に悩んでいた。ある豪雨の日、彼女は路上に立ちつくす半裸の少女に出会い、意識を失う。気が付くと彼女は刑務所の囚人となっていた。自分が最愛の夫を惨殺したというのだ。なぜ? 私はやっていない! …抵抗するミランダの前に浮かび上がる、謎のメッセージ。"Not Alone"一人ではない…
(2月28日より東京・渋谷東急ほか全国東急系にてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年3月号]


めざめ[デルフィーヌ・グレーズ監督](2002、仏=ベルギー=西=スイス)
★★

  一頭の闘牛の牛が死んで解体され、スペインからフランス、ベルギーへと運ばれてゆく。その先々では女性ならではの苦悩を抱えた、女たちの人生に大きな波紋が広がってゆく。
  デルフィーヌ・グレーズ監督は、初の長編作品『めざめ』で、『ピアノ・レッスン』のジェーン・カンピオンなどに通じる、”女であること”の痛みと悦びを全編に展開している。
  ベルギーに住むベティは、お腹に赤ちゃんを身ごもりながら、夫の不倫に悩み、母になることをどう受け止めて良いか、途方に暮れている。
  フランス北部リールでは、子供の扱いに悩む保育士アリスが、助言を得るために母ジャンヌを呼ぶ。しかしジャンヌには隠された過去があった。イタリア出身のカルロッタは、女優を目指しながら感情をうまく表現することができない。自己開発セミナーで集団全裸セラピーに身を委ねるが、心を裸にはできない自分に向き合うことになる。
  そしてアリスを手こずらせている5才の少女ウィニーは、闘牛の牛に異常な関心を示し、大人の常識では”おかしな”行動・言動を示し、皆から将来を心配されている。
  これらのエピソードが綾をなし、ラストにはある種の”救い”が訪れる。赤を基調とした画調は鮮烈、時折現れるアヴァンギャルド的映像が印象的だ。撮影当時29才だったからこそできた、傷つくことを恐れず、自分のテーマを描ききったエネルギーが、画面を覆っている。
  女性監督が、女としての自分をぶつけた渾身の力作。これは”子宮で見る”映画なのかも知れない。
(3月6日より東京・渋谷 ユーロスペースにてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年3月号より、抜粋・再構成]


幸せになるためのイタリア語講座(2001,デンマーク―スウェーデン)
★★

  デンマーク郊外の小さな街に、代理牧師として赴任してきたアンドレアス。そこで出会ったのは、女一人で美容院を切り盛りするカレン、父の介護に明け暮れるそそっかしいパン屋の店員オリンピア、サッカー小僧気分が抜けないウェイターのハルフフィン、その友人でいい人だけど女にモテないヨルゲン…青春時代をとうに過ぎた、ごく平凡な男女が、共にイタリア語を学び始めたとき、小さな恋と友情と家庭愛の奇跡が起こり始める。
  イケてないけどまじめで不器用な人々が、幸福を見つけてゆく様は、見ていて胸がじわ〜っと温かくなってくる。出てくる女優が(イタリア人を除き)みんな美人じゃないところが、ハリウッドやフランスの映画にはない、「こういう幸せ、あたしにも、訪れるかも」的リアリティを物語に生んでいる。女性監督だから作れた、内気で夢見る大人たちに贈る、チャーミングな癒し系ファンタジーだ。
(2月7日より東京・シネスイッチ銀座他にてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年3月号]


アフガン零年(2003,アフガニスタン―日本)
★★★

  9・11前後から、いわゆるミニ・シアターで、イラクやアフガニスタンの難民を描いた作品が、盛んに上映されている。だがテーマの重みに反して、映画として訴え掛けてくる作品は少ない。
   悲惨な状況を記録し世界に伝えるだけなら、ドキュメンタリーで充分だ。作り手が時代と社会の空気を、自分の確かな思想と視点を通じて表現するのでなければ、劇映画を作る意味はない。  『アフガン零年』は、確かな監督の力量を感じさせる一本だ。「この監督の次の作品が見たい」と思わせてくれる才能がアフガニスタンから登場したことに拍手を送りたい。
  舞台はタリバン支配当時のアフガニスタン。異常な禁欲的生活を信条とするタリバンは、女性が一人で外を歩くことを禁じ、街行く少年たちを片端から徴兵し、宗教学校タリバン思想を叩き込んでいった様が描かれてゆく。
  女が一人で歩けない、ということは、夫を失った女性だけの家庭は、収入の道を断たれ、一家飢え死にするしかなかったというのだ。この状況下、父を失ったヒロインの少女は、母と祖母を養うために、少年「オサマ」(ビン・ラディンのファースト・ネーム)と名乗り、男の子として街で仕事を得、やがて徴兵されてゆく。
  ドラマは最小限の台詞で展開する。恐怖政治の下人気の少なくなった、中央アジアの風景が目に突き刺さる。老人と子供しかいなくなった街は、独裁政治の真の恐怖を無言のうちに訴えてくる。全編の映像の随所から、生きながら死んでいくことを強要されていた、女たちの絶望が肌から伝わってくるのだ。
  少女は女の子らしい長い髪を切られても、切った髪を植木鉢に植え、再び女として生きることを祈り続ける。そしてラストの悲劇は社会の特殊性を越え、人間一般の悲劇として、衝撃をもたらす。映画ファンになら「ブレッソンに通じる世界」と言えば分かるだろうか。
  どうしても語らなければならないテーマを、高水準の技術と映像で実現した魂の一本。新たな才能、セディク・バルマク監督の魂に触れ、その名を記憶せよ。
(3月13日より東京・恵比寿 東京写真美術館ホールにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.9  3月2日号を一部修正]


クリビアにおまかせ!(2002,オランダ)
★★

  チューリップと風車、ソフト・ドラッグ解放…こんな相反するイメージを持つオランダから、とんでもミュージカル・コメディ『クリビアにおまかせ!』がやってきた。元ネタは60年代末に大ヒットしたテレビ・ドラマ。それが舞台版として甦り、勢いを駆って映画化。本国では社会現象になるほどの大ヒットとなった。
  主演のルス・ルカは、オランダの国民的ミュージカル・コメディ女優。一風変わったヒロイン、クリビアを、楽しそうに演じている。
  クリビアは不思議な「療養所」の経営者。入所者は対人恐怖症のダンサー、奇妙な発明家「博士」など、”社会不適合者”扱いされる人ばかり。そんな人々をクリビアは母のような愛で世話している。泥棒に入られても改心を悟し、療養所の仲間に入れてしまう、寛大な看護婦(?)だ。
  変わり者揃いの”入所者”たちは夜昼構わず、上を下への大騒ぎ。大家のボーデフォルはそれが苛立たしくてたまらない。あの手この手でクリビアたちを立ち退かせようと、意地悪の限りを尽くす。ところが「博士」が「いい人になる薬」を発明し、街の雰囲気が変わってくる。
  とは言えボーデフォルが再会する旧友の美容師ワウターが、ゲイになっているなど、オランダ的なキワドイ仕掛けも随所に。最初は挨拶もしないほど彼を嫌っていたボーデフォルが「いい人になる薬」を飲んだ途端、彼と抱き合う瞬間は大爆笑の名場面。
  モダンで悪趣味なテイストを散りばめつつ、全編の美術は『マイ・フェア・レディ』や『プリティ・ウーマン』を思わせるパステルカラーが基調。聞いたことないのに懐かしさを覚える歌に乗せて、キュートに広がる群舞ダンスには、本物のミュージカルの楽しさが満載である。
  チューリップのカワイらしさと、ソフト・ドラッグのドギツさが共存する、独特のミュージカル。一度ハマるとクセになりそうな映画だ。

(2月14日より東京・渋谷 シネマライズにてロードショー)
[メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年2月号より、抜粋・再構成]


オアシス(2002,韓国)
★★★1/2

  社会に爆弾を投げつけるような、”愛”の物語の登場だ。
  主人公ジョンドゥは強姦未遂、暴行、交通事故の過失致死と前科三犯。刑務所出所後も、30才を前に時間にルーズで他人の立場を考えず、弟から「オレの人生を邪魔しないでくれ」と言われる迷惑男。しかも自分が起こした交通事故の、被害者の遺族を見舞いに行き、脳性マヒの娘コンジュがいると知るや、彼女をレイプしようとして、発作を起こされると置き去りに逃げ出す。人として最悪に近い生き方と振る舞いが目に余る男だ。
  だが障害ゆえに一人で外に出られず、兄夫婦からも放置されていたコンジュが、彼の許に電話をかけたときから、不思議な形で二人の恋が始まる。加えて映画はジョウドゥとコンジュ双方の家族が、二人を自分たちの「ささやかな幸せ」に利用している裏側を暴き出す。
  小説家出身で、傑作『ペパーミント・キャンディー』の監督、イ・チャンドンは、この新作を図式的な社会派映画にしていない。真のテーマは、人間の原罪と救済なのである。
  人間はだれでも、罪を犯さずに生きてはいけない。現代の資本主義、民主主義を生きる原罪とは何か? その罪を抱えて人はどう生きたらよいのか? 世界的不況を迎えた今日、誰もが向き合うことを避けているこの問題に、過激な手法で取り組んだのが、『オアシス』なのだ。実は韓国にはキリスト教徒が多いのだが、これはキリスト教抜きで、考えなければならない大テーマである。
  そう見ると物語はドストエフスキーの『罪と罰』等の構成に酷似。ジョンドゥのキャラクターはロシアやドイツの民話に登場する「聖なる愚者」を想起させる。障害者コンジュは、20世紀の女性の人権確立を経た、新世紀のマグダラのマリアかもしれない。
  一度見て理解できるほど単純な物語ではないし、その過激さゆえに拒否反応を示す人も出そうなので、万人向けとは言えない。しかし、ある種の観客には、人生を変えるほどの衝撃と感動が用意されている。重い、真の問題作である。

(2月7日より東京・渋谷 Bunkamuraル・シネマにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.7  2月17日号]




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