Office NESHA presents movie guide
Apr./ May 2001

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
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VENGO ベンゴ
人間の屑
幼なじみ
ガールファイト
隣のヒットマン
チキン・ラン
2001年宇宙の旅 新世紀特別版
ハンニバル





VENGO ベンゴ(2000,仏-西-伊-日)
★★1/2

  トレンドと関係なく、根強いファンを誇る、スペインのフラメンコ。哀切で激しい歌詞の絶唱をバックに繰り広げられる、豪快なステップとリズムのダンス。その暗い情念は、特に関心のない人間でも「おっ?」ひかれる魅力がある。

 そんなフラメンコの既成イメージを、根底からひっくり返す、痛快な作品が『VENGO ベンゴ』だ。

 冒頭のダンスにまず度肝を抜かれる。ジプシー・ギターの憂いを含んだ調べ。アラブ系音楽の鈴の音がかぶる。力強い歌声。これらをバックに、3人の美女が真っ白な衣装の長い袖を自在に繰りながら華麗な踊りを見せるのだ。

 これがフラメンコか!? オレたちが知ってるのとぜんぜん違うじゃないか! でも凄い。かっこいい!! フジヤマとゲイシャ・ガールが日本文化のすべてでないように、スペインもその土地独自のものに、ジプシーやエジプトの文化がブレンドされたものなのだ。その懐の深さを5分足らずで見せてしまう力量はタダモノでない。

 監督はミュージシャンでもあるフランスのロマ系ジプシー、トニー・ガトリフ。これまでも『モンド』『ガッジョ・ディーロ』で、その多才ぶりを見せてきたが、今回もその才能が爆発する。

 物語はスペイン裏社会で対立する、エジプト系ジプシー・ファミリー同士の抗争劇。家族愛が血と復讐の惨劇を次々と引き起こす。

 主演はフラメンコ・ダンサーとして世界的に有名なアントニオ・カナーレス。登場するミュージシャンも、現代フラメンコ界の重鎮たち。シンプルかつ激烈な展開が、フラメンコの精神をスクリーンに横溢させる。

 ドラマの原初のような悲劇と懐の深い音楽が、土手っ腹に響く。泥臭さとおしゃれさが混在する、一級の娯楽映画であり、ガデスの『カルメン』以来の衝撃が待っている。

 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』よりノレる世界を体験すべし。この夏最高のデート・ムービーだ。

(5月26日より、シネマライズにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.23,2001年6月5日号]


幼なじみ(1998,フランス)
★★★★1/2

  1999年の元旦、偶然パリで見て以来、2年半近くにわたり「1日も早く日本で公開を」と望み続けてきた名作が遂に公開される。

  この映画には20世紀の問題と苦難が、そして21世紀に生きる希望が凝縮されている。つまりキミたちの過去・現在・未来がすべてあるのだ。

  フランスのニューヨークと異名をとるマルセイユを舞台とした、18才のアフリカ系青年ベベと16才の白人少女クリムの恋の物語である。このふたりの恋が人種差別、貧困、国家権力、遂には戦争の傷跡まで、あらゆる障害を乗り越え、未来に向かって羽ばたくまでを描くクロニクルだ。

  ハリウッド映画のようなスペクタクルはない。画面に登場するのは現実のヨーロッパの姿だ。失業や偏見に満ちた街角、ボスニア内戦で現実に破壊された町並み、ひとつひとつの映像が、ドキュメンタリーをしのぐ強さで胸に突き刺さる。90年代に流行したストリートものやスペクタクル映画は、この作品の前ですべて、まがい物の偽物として力を失う。

  しかもこの映画は人類が一世紀かけてぼろぼろにした、美しいものを回復してくれる。人と人が愛し合うことは素晴らしい。愛し合う二人がSEXするのは自然なことだ…こんな当たり前のことが描かなくなってどれだけ経つだろう。ふたりが全裸で抱擁し合う場面の美しさは、キミたち自身の中にある美しさなのだ。

  そして偏見の犠牲者として濡れ衣を着せられ逮捕されたベベを救うために、ふたりの家族が発揮する驚くべき力。真の家族愛に胸が詰まる。

  これは21世紀の『ロミオとジュリエット』だ。だが我らが新世紀の若き恋人たちは敗北しない。家族と一丸になって、ふたりを引き裂こうとする世界そのものと対決して、愛を成就させるのである。

  未来を信じるために、自分自身を肯定するために、この映画の上映館に駆けつけよ。我々の21世紀は『バトルロワイアル』や『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ではなく、この映画の中にある。

(5月19日より、シネスイッチ銀座他にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.21,2001年5月22日号]


ガールファイト(2000,アメリカ)
★★1/2

  な、なんだ、このギラついた目は!! かわいい女、きれいな女、色っぽい女……これまで映画でいろんな女を見てきたが、こんなハングリーで熱い女は初めてだ。

  この新人女優、ミシェル・ロドリゲスに触れるだけでも、『ガールファイト』は必見の一本である。

  ハイ・スクールでチャラチャラした女どもに、つかみかかってぶん殴る様は、人間というより獣だ。なのに薄汚いニューヨークの街のなか、「ケッ、バカな世界だぜ」とばかりに、見るもの触るものを軽蔑し見下す姿は、気高い美しさすら感じさせる。

  その面構えがめちゃくちゃ格好いい。「ダイアナ」という物語の役柄と、現実のミシェルが、区別できなくなるほど、フィジカルな魅力が圧倒的なのだ。

  このミシェル演ずるダイアナは、ボクシングを始め、ヒロインから女ヒーローへと変貌する。力任せにケンカしていただけの少女が、基礎トレーニングを積み、フットワークを覚え、見る見るシェイプ・アップされてゆく。その成長のプロセスが克明に映像に刻まれてゆく。ボクシング映画の名作とされる『レイジング・ブル』でさえ、鍛えられてゆく肉体を、こんなに衝撃的に表現してはいなかった。さながらドキュメンタリーを見るような、緊張感に驚嘆する。

  物語には矛盾があるし、いくらアマチュアとはいえ、男と女がタイトル・マッチをして、互角に渡り合うという展開は荒唐無稽。スポーツ映画として見ると不満は残る。

  だがほとんど笑顔を見せず、しゃにむに敵に向かってゆくミシェルの顔が映るだけで、すべての欠点は帳消しになってしまう。あのナウシカがキレイごとに思えるくらい、闘うミシェルは凄味にあふれている。

  たった一人の新人女優を見ているだけで、1時間50分があっという間に終わってしまう。こんな映画は久しぶりだ。生きた人間を真正面から描けば、CGなんか使わなくても、興奮する映画は作れるのだ。

  美しくも気高い女闘士。こういう女に惚れることができてこそ、真の男なのである。

(5月12日より、丸の内ピカデリー2他全国東急・松竹系にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.18,2001年5月1日号]


隣のヒットマン(2000,アメリカ)
★★★

  最近取材で女優に会うと、よく「おっ、映画で見るより美人じゃん!?」とビックリする。映画というのは、「現物より美しく撮る」ものかと思ったら、その逆なのだ。

  確かにいまどき、美人は人気がない。「かわいい」は受けるけど、「美しい」は受けない時代だ。

  ただ、絶世の美女がいないと、スクリーンを見ていても胸がトキメかないのも事実。現代に『カサブランカ』や『ローマの休日』をやろうとしても、どこかチープになってしまうのは、美女の不人気が最大の原因ではないか?

  そこでパロディ・コメディの形を借りて、美女とロマンの復権を図った快作が『隣のヒットマン』である。

  嫁さんの尻に敷かれる情けない歯医者、オズ(TV『フレンズ』のマシュー・ペリー)の隣に、刑務所から出たばかりの凶悪殺し屋チュデスキ(ブルース・ウィリス)が引っ越してきて、一同はビビリまくり。こんなマンガ的な設定から、「誰が、誰を殺そうとしているか?」という、愛(?)と裏切りのゲームが開始される。

  そこにいよいよ真打ち登場。チュデスキの妻役のナターシャ・ヘンストリッジを見よ! 彼女こそ21世紀に降り立った、美の女神である!!

  これまで『スピーシーズ』などB級映画で不遇をかこっていた女優だが、ここで魅力満開。『氷の微笑』のシャロン・ストーンをパクッたような姿で現れ、映画史をさかのぼるようにメイクと衣装を変え、全盛期のハリウッド・ビューティのごとき美の化身へと変貌するのだ。

  その美しさに触発されるように、映画は往年のハリウッドが誇った、ロマンティック・ミステリーの王道の展開を見せてゆく。ワザありの脚本と演出に脱帽である。

 『マーキュリー・ライジング』以降、肩の力が抜けたブルースもサブに徹し、『ハドソンホーク』の借りを返す名コメディアンぶり。曲者揃いの脇役陣もイケている。

 『ハンニバル』一色のGWのダーク・ホース。映画ならではワクワクドキドキを体験させてくれる、デートにも最適の一本。見逃すな!

(4月21日より、渋谷東急他全国東急・松竹系にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.14,2001年4月3日号]


チキン・ラン(2001,英-米-仏-韓)
★★★



2001年宇宙の旅 新世紀特別版(1968-2001,英−米)
★★★1/2
(オリジナル・シネラマ版は★★★★1/2)

  映画ファンならずとも、一度は題名を耳にしているに違いない、映画史上のベスト・テンの常連、『2001年宇宙の旅』が、タイムリーにリバイバルされる。
  この映画こそビデオでは理解できない。テレビの小さな画面で見ると、水槽にクジラを閉じこめたような窮屈さがある。ぜひ映画館の最前列で、画面を見上げるようにして体感してほしい。
  交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』とともに幕を開ける、ファースト・シーンのかっこ良さ。画面の端から端まで、ゆっくり飛行してゆく宇宙船。虚空のなかに、人間が放り出される恐怖感。生命誕生に向けて、宇宙船が精子となって、ブラックホールという子宮に突入してゆく映像。どれも初公開後33年を経たいまも、空前絶後の衝撃だ。
  実際に2001年を迎えたいまから見ると、映画のディテールの多くが現実になっていることにも驚く。テレビ電話やマルチ言語のPCなど、昔は夢のまた夢だったのだ。
  物語は公開当初「わけがわからん」と賛否両論、70年代には「哲学的だ」と若い観客が議論を戦わせたものだが、いまになるととても明快。ひとことで言ってしまえば「技術と進歩を手にしても、人間は神になれない」という話。
  宇宙探索の過程で、飛行士たちは自分の道具であるコンピュータに殺されそうになる。一人生き残るボウマン船長の孤独な戦いに息が詰まる。
  そして宇宙の彼方で、知恵の源、モノリス(旧約聖書の十戒が刻まれた石板の隠喩)に導かれ、神による生命創造の瞬間を体験するのである。
  最近の遺伝子操作、クローンをめぐる議論にも見られるように、キリスト教徒にとって、神の領域に人間の科学が踏み込むことはタブーなのだ。科学と信仰をどう両立させるか? この問にキューブリック監督は、ブラック・ユーモアに彩られた楽観的な答を、提示するが、正直、この答だけは、いまでは古くさい。
  だが、キリスト教と関係ない我々は、無責任にこの映像体験に溺れて楽しめば良いのだ。IMAXをしのぐ陶酔の映像体験が待っている。この機会、逃すべからず。

(4月7日より、ル・テアトル銀座にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.16,2001年4月17日号]


ハンニバル(2001,アメリカ)
★1/2

  トム・ハリスの小説、ジョナサン・デミの映画化と、『羊たちの沈黙』は、87分署やマルティン・ベック・シリーズなど、警察犯罪捜査物のルーティンに則った作品だった。

  ところが『ハンニバル』にきて、ハリスの小説は大きく純文学への傾倒を見せ、映画版『ハンニバル』も、その純文学性を娯楽映画に移し替えようと、『ブレードランナー』のリドリー・スコット監督を起用。オペラを思わせる造形趣味を全編に漂わせている。

  この大きな方向転換の原因は、アンソニー・ホプキンス演じる、映画版ハンニバル・レクターのカリスマ性あふれる魅力である。

  今回『ハンニバル』でもレクターを演じるホプキンスは、一世一代の当たり役らしい芝居を見せる。ジョディ・フォスターからクラリス役を引き継いだジュリアン・ムーアも、『羊たちの沈黙』から10年後、という設定にふさわしい好演。

  そして話題の、原作と異なるラストにより、映画『タイタニック』を思わせる愛のドラマとなっている。ただし幕切れであからさまに登場する東洋人蔑視だけは、断じて許し難い。

(4月7日より、渋谷パンテオン他全国東急・松竹系にてロードショー)

[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』2001年6月号向けオリジナル原稿より]


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