Office NESHA presents movie guide
Jun.-Aug 2004

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
詳細はこちらをご覧下さい

作品タイトルをクリックすると、紹介記事にジャンプできます。

華氏911
LOVERS[チャン・イーモウ監督作品]
ステップ・イントゥ・リキッド
父と暮せば
ぼく セザール 10歳半 1m36cm
Mの物語
ユーリー・ノルシュテインの世界
ウォルター少年と夏の休日
カーサ・エスペランサ 赤ちゃんたちの家
スチームボーイ
イザベル・アジャーニの惑い
魂のシネアスト 高林陽一の宇宙
イオセリアーニに乾杯!
群盗、第七章
トスカーナの休日
21グラム



華氏911(2004,アメリカ)
★1/2

  この映画は生ものである。合衆国大統領選をにらみ、ジョージ・W・ブッシュ再選阻止を目標とした、アンチ・キャンペーン映画、いや、プロパガンダだと言って良い。テレビのニュースはじめ、膨大なジャーナリズム映像を短期間でチェックし、版権をクリアし編集した、マイケル・ムーア監督の情熱は、単なる売名目的ではないと言えよう。
  従って11月の大統領選前と後、どちらに見るかで作品の意味合いも機能も変わる。ブッシュ再選を阻むなら、映画は共和党ハト派や、政治的知識に乏しいブッシュ支持者に見られ、共感を得なければならない。本稿ではそこに論点を絞り、有効なプロパガンダとなっているかを考察したい。
  冒頭に2000年大統領選疑惑を持ってきたことは、米国民に選挙民としての自覚を改めて持たせる点で効果的だろう。ただ下院で次々出される、大統領選の不正に関する異議書に、なぜ一人も上院議員が署名しなかったのか、追求がないのは、「ブッシュ大統領」の正当性に対する疑義への決め手を欠いた憾みが残る。
 「9・11」とブッシュ・ファミリー企業利権の関係を考察する前半は、映画の展開が早すぎる。ビン・ラディン家との利権癒着や、アフガン戦争とパイプライン事業の関係など、固有名詞や時系列が観客の頭に定着する前に、話が先に進んでしまう。予備知識がゼロの観客(リベラル派活字系知識人とウェブの反ブッシュ・サイトやメイリング・リストを利用者以外の全国民)に、明確な怒りを呼び起こせたか疑問だ。「9・11」以前のブッシュの休暇の件や、ムーアが創作したブッシュの独白を削ってでも、問題点を繰り返し、観客の定着度を高めるべきではなかったか。主張の是非はともかく、論旨は一貫しているだけに惜しまれる。
『ボーリング・フォー・コロンバイン』は、語法の分かりやすさゆえに、ノン・フィクション映画に馴染みの薄い観客からも受け入れられたが、今回監督は語法を確立する時間的余裕がなかったのか。映像の分かりやすさを欠きながら切迫感を煽るナレーションをかぶせる作りである。これでは「陰謀のデッチ上げ」という印象すら与えかねない。
  後半のイラク戦争に踏み込む件は、現地イラクで米兵に取材する映像におけるムーアの不在が、決定的弱点だ。野次馬的に見に来た観客は、米兵の殺人を楽しむ発言を見て「これはヤラセだ」と、はなから取り合わない可能性が高い。おそらくムーア自身、イラクに取材に飛んでいないのだろう。ムーアのノン・フィクション映画は、取材現場に監督自身が立ち会うことが、ヤラセを禁じる監視官として機能してきたため、この映画では説得力を欠く要因になってしまうのだ。
  映画が最も輝きを増すのは、今回も監督の故郷、ミシガンの街のパートだ。失業と階級格差が、若者に入隊を促す要因となっている現状は、記録として価値を持つと同時に、アクチュアルな政府批判となっている。ラストで入院中の負傷兵の映像に、軍人年金カット等の法案通過を語るナレーションがかぶる場面と並び、ブッシュの施策に対する批判を呼び起こし得るだろう。
  だが米国の制度下でブッシュ再選阻止は、有権者登録をしない(日本でいう棄権)ことでは実現が難しい。民主党候補が得票を伸ばして初めて阻止できる。しかし映画は民主党支持を一度も謳わない。映画人ムーアの良心がなせる業なのだろうが(米国の戦争や武力侵略は大半が民主党政権時に始まっている)、先に述べた層の観客に「行動」を促す力を持ち得ているのか。エンド・タイトルで「行動せよ」の字幕と共にウェブ・サイトのURLを掲げたムーアは、映画を目的達成のツールの一つとしか位置づけていないようだが。
  なおこの映画を一本の作品として論ずる場合、筆者は本稿とは全く別の論を立てることになると最後に付記しておく。
[8月14日より東京・恵比寿ガーデンシネマ他にて全国ロードショー]
[『キネマ旬報』 2004年10月上旬号]


LOVERS[チャン・イーモウ監督作品](2003,中=米)
★★1/2

  昨年『HERO』で映画ファンの血をたぎらせてくれた、チャン・イーモウ監督。その武侠アクション第二弾『LOVERS』の登場だ。
  前作が静と動、色彩の対照の妙で、グッと引き締まったドラマだったのに対し、今回は絢爛豪華。主人公はチャン・ツィイー演じるシャオメイ。遊郭一の舞姫、しかも盲目。実は王朝転覆を狙う最強の女剣士と、設定からして派手で華麗だ。映像も艶やかなピンクや黄色を駆使し、盲目の舞姫が踊るテクニックが、手裏剣の名手として敵をなぎ倒すときどう活きるかなど、ひねりの効いたアクション描写に息を呑む。
  彼女を追う王朝側の官吏が弓の名手ジン(金城武)とリウ(アンディ・ラウ)。CGとワイヤー・アクションだけに見せ場を委ねるのでなく、戦法のリアリズムを踏まえている。手元に何本矢が残っているか、計算しながら敵を倒してゆく過程など、細かい表現が、ワンランク上の興奮を生んでいる。
  色鮮やかな遊郭、暗い牢獄、果てしない原野、鬱蒼と茂る竹林と、鮮やかな場面転換は見ていて飽きない。竹林で多勢の敵が襲いかかる場面など、ワイヤー・アクションか、生身の人間のスタントか、見分けがつかない迫力だ。
  ところが後半になると、話がダレ始める。主人公三人が隠していた秘密の内容がチャチで拍子抜け。特にジンとリウの苦悩は薄っぺらで、キャラの魅力が急速に減じる。アクション場面も極端に減り、女性客受けを狙ったのか、平凡なラヴ・ストーリーに終始してしまう。『HERO』のような衝撃や感動はなく、不完全燃焼感すら残る。
  今回ジェット・リーら大物アクション・スターを欠いているのも要因の一つだろうが、前作の余勢を駆って作った粗さと甘えが見え隠れする、と言ったら高望み過ぎるだろうか。前半1時間がべらぼうに面白いだけに、後半の腰砕けは残念至極。次は脚本を練って、ラストまでビシッと決めて欲しい。
[8月28日より東京・丸の内ルーブル他東急系にてロードショー]
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.34  8月31日号]


ステップ・イントゥ・リキッド(2003,アメリカ)
★★★

  世界中のサーファーたちの、海に愛と夢をかけた生き様を、2年半に渡り追い続けた、迫力と興奮、そして感動のドキュメンタリー。
  サーフィンを習いたての子供たちの姿に始まり、ハワイ、オーストラリアとサーフィン先進国で、激しい波乗りに挑むプロ・サーファーたちの超絶技法を、CGゼロ、合成ゼロのド迫力撮影で体感させてくれる。避暑にはうってつけの映像の連続だ。
  だがこの映画の魅力は、世界各地で、自分なりにサーフィンを楽しむ人々の人間模様が見えてくること。24年間毎日波に乗り続けるオジサン、祖先のルーツを求めて最果てのアイルランド、ドネゴールの荒波に挑むアメリカ人、タンカーの立てるさざ波で強引に波乗りする人、果てはカリフォルニア沖160キロまで舟で漕ぎ出し、66フィートの高波に挑む男たち……傍目には道楽としか見えないことに、人生と命を賭けてしまった夢追い人たちの姿が、愚かしくもいとおしい。カナヅチのあなたもジンとくるはず。

(8月14日より東京・渋谷 シネマライズにてロードショー)
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年8月号]


父と暮せば(2004,日本)
★★

 作品論は
こちら

(7月31日より東京・神保町 岩波ホールにてロードショー)


ぼく セザール 10歳半 1m36cm(2003,フランス)
★★

  小学生三人組がハツラツと飛び出すフランス発『ぼくセザール10歳半1m39cm』。今どきの子供たちのポップな活躍に笑いながら、愛を求める小さな心にじんと来る、感動系コメディだ。
  主人公セザールは小学校の最高学年。少しぽっちゃりでスポーツも苦手。ある日パパが出張に出かけたのを「警察に捕まって刑務所に入れられた!」と勘違い。噂はたちまち学校中に広まり、先生からは同情され、級友からはヒーロー扱いと、一躍人気者になる。が、パパが帰ってきて、セザールは一気に名誉失墜、不幸のどん底に。
  失意のセザールを元気づけるのは、親友で勉強スポーツ万能のアフリカ系少年モルガンと、イギリス人とのハーフでおませな美少女サラ。映画の後半は、モルガンのまだ見ぬお父さんを探して、小学生三人が国境を越えてロンドンまで出かけるロード・ムービーに展開。サラを巡るセザールとモルガンの三角関係も佳境に入ってゆく。
  ロンドンの夜で離ればなれになり、暴漢に襲われる子供たちの危機を救うのは、パンクなバーの店主グロリア(演じるのはかつてのゴダール映画のディーバ、アンナ・カリーナ!)。子供たちに優しさと安らぎを与え、思わぬハッピー・エンドへと導いてゆく。
  全編はフランスらしい(?)締め付けの少ない、のびのびとした子供たちの演技で、ノリノリの展開。セザールたちは大人が思い描く「理想の子供像」とは程遠く小生意気なのだが、映画の終盤には「ぼくも、私もセザールかもしれない」という思いに襲われる。

(7月31日より東京・日比谷スカラ座2ほかにてロードショー)
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年8月号より一部修正]


Mの物語(2003,フランス)
★★★★1/2

   40年ほど前、フランス映画界にゴダール、トリュフォーなどがヌーヴェル・ヴァーグの嵐を引き起こした。若者監督が若者の映画を撮るというスタイルはヌーヴェル・ヴァーグが映画史に初めて持ち込んだのだ。   その後、長い年月を経て、70代を迎え人生の老境にかかった彼らが、今また瑞々しい傑作を放ち続けている。本作も日本では『美しき諍い女』の監督として知られるジャック・リヴェットの集大成的名作である。
  彼の作風の特徴は”嘘くささの排除”だ。映画音楽を一切使わず、観客の感情を煽るような演出を避け、キャラクターの生活感覚を活かした呼吸を救い出す。それが映画に自然な空気を生み出し、さりげなさの中から予想もつかないラビリンスへ誘い、驚愕のラストまで引っ張っていくのだ。
  この最新作もスタートは犯罪ミステリー・タッチ。ニセの中国絹製品を輸入業者が作っている証拠をつかみ、経営者マダムXを脅迫している時計職人ジュリアン。そこへ1年前に姿を消した恋人マリーが現れる。彼女はマダムXの手先なのか? 金目当てでジュリアンに近づいてきたのか?
  その後の展開は常識を覆す驚きの連続。マリーの謎を追ううちに、ジュリアンとマダムXは思いも寄らぬ自らの過去の傷に向き合い、心の迷宮へと足を踏み入れていく。そしてラストでは神話的な愛の奇跡が到来、魂を揺さぶり、癒す感動の瞬間がやってくる。
  主演は『8人の女たち』のエマニュエル・ベアール。哀しい宿命を負った謎のヒロインを、薫る美貌と繊細な演技で表現。現代フランス最高のカメラマン、ウィリアム・リュプチャンスキーの陰翳豊かな撮影と共に、ドラマと映像の魔術を繰り広げるリヴェットの演出が円熟の極みを示す。
 「人生とは?」「映画とは?」という問いに美しい答えを提示する、真の名作である。

(7月31日より東京・銀座シネパトスにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.31  8月10日号]


ユーリー・ノルシュテインの世界(1968-78,ソ連)
★★★★-★★★★★

  昨年『連句アニメーション 冬の日』で24ぶりの新作を発表した、切り紙アニメの巨匠ノルシュテインの主要作品を、2プログラムに分けて一挙公開。温かさと切なさ、そして神秘性すら漂わせる世界は、アニメに対する固定概念を覆す、歴史的美術品である。
 ロシアの民話をタベスリー・タッチの背景を用いて温かく描く『キツネとウサギ』(★★★★1/2)の愛しさ。男女の恋のすれ違いを鳥たちに託し、寂しげな廃墟を舞台に展開する大人のアニメ『アオサギとツル』(★★★★)。深夜の森をお使いに出かけるハリネズミが遭遇する幻想的光景のうちに、人生そのものを凝集したような叙情と余韻に満ちた出世作『霧の中のハリネズミ』。(★★★★★)そしてオオカミの子供が生活の営みのかけがえのなさ、戦争の悲惨さ、詩の価値を体験する『話の話』(★★★★★)は、映画史上に永遠に名を残す圧倒的名作だ。独自のタッチの神髄は、スクリーンでしか体験できない。必見!

(7月17日より東京・ラピュタ阿佐ヶ谷ほかにてロードショー)
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年8月号より]


ウォルター少年の夏の休日(2003,アメリカ)
★★

  テキサスの大平原に建つ一軒家に、ハブとガースの老兄弟が40年も住み続けている。巨万の財産を持っていると噂され、親戚たちやセールスマンが擦り寄ってくるが、二人はライフルをぶっ放し訪問者を豪快に追っ払う。
  ある日ハブたちの姪が、14才の息子ウォルターを強引に兄弟の家に置いて去りにする。テレビもない田舎の一軒家に、ウォルターは不満をぶつけるが、兄弟の手荒な叱責を受ける。そんな夜ハブが夢遊病で湖畔に立つ姿を目撃し、ぴっくりしたウォルターに、ガースは兄弟の若き日の「冒険」を語り始める。
 『ビッグ・フィッシュ』に通じる、虚実入り交じったホラ話に、頑固ジジイと生意気なガキの心の交流を織り込む。ウォルターがライオンをペットにする件は、アメリカ映画らしい豪快さ。『A.I.』のオスメントは、憎たらしいロー・ティーンへと脱皮に成功。一番の見所は、日本ではなぜか人気がないオスカー俳優、ロバート・デュバルの怪演!

(7月10日より東京・シネスイッチ銀座にてロードショー)
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年8月号]


カーサ・エスペランサ 赤ちゃんたちの家(2003,アメリカ)
★★★

  ”巨匠監督”という言葉が廃れて久しい。価値観が多様化し、「濃い映画ファン=オタク」の構図が定着しつつあるなか、分かりやすくて誰が見ても感動できて、気骨のある映画を作り続ける監督は、もう出てこないのでは?という風潮が強い。
  だがこの映画でジョン・セイルズ監督は、21世紀の巨匠の称号に相応しい力量を発揮している。全映画ファンに自信をもってお薦めしたい一本だ。
  舞台は現代南米某国。貧富の差が激しいなか、多くの子供が米国はじめ「豊かな」国に養子に出される。
  映画の中心は、米国各地から生まれてばかりの赤ん坊をもらいに来た、6人の女のドラマだ。若い男には無関係そうな話、『キル・ビル』のダリル・ハンナはじめ、中堅美女スターが出演し、美と演技の火花を散らせる様は眺めているだけで楽しい。映画が進むにつれ、6人のドラマは現代アメリカの縮図になってゆく。同性愛、親のトラウマ、依存症、不妊治療など、現代社会ならでは女の問題の数々は「オレの彼女がこうなったら…」としばし考えてしまう。その意味では男だからこそ見て考えておきたい映画なのだ。
  また6人が滞在する養子縁組施設「赤ちゃんたちの家」には、幼くして学校にも行けず、不本意な妊娠・出産の末、赤ん坊を養子に出した少女も働いている。なかでもアスンシォン役のヴァネッサ・マルティネスは第2のペネロペ・クルスを予感させる可憐さと哀しさで、映画に奥行きを与えている。
  加えて街には養子になれなかったストリート・チルドレンの犯罪生活があり、観光地の風物は植民地として、米国の経済的属国として苦しむ南米の地の歴史が浮かび上がる。見ている内に自然とラテン・アメリカの苦悩が伝わってくる演出は見事、脱帽である。
  わずか95分の上映時間に、南北アメリカの「いま」を凝縮し、未来への希望も込めた、新たな巨匠の傑作。真の映画ファンは見逃してはならない。

(7月31日より東京・新宿 テアトルタイムズスクエアにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.29  7月27日号]


スチームボーイ(2004,日本)


  舞台は19世紀半ば、産業革命真っ只中のイギリス。祖父ロイド&父エディが究極の蒸気動力源”スチームボール”を発明、米英入り混じっての大争奪戦にスチム家の3代目、13才の夢見る発明少年レイが巻き込まれる。スチームボールを「悪用」から守ろうと、大人たちがメカを駆使して追跡するのを振り切り、レイは苦心奮闘の大逃走劇を繰り広げる。
  19世紀の鋼鉄製重量メカが最新鋭CGを駆使したスピード感で動き回り、ロンドンの街を破壊しまくる。全編を貫く問答無用の破壊の連続は、製作期間9年をかけた大友克洋の本領発揮。『AKIRA』の世界を『天空の城ラピュタ』テイストでコーティングしたようなアニメのドライヴ感にノレれば、楽しめる作品である。
  ただ、ボールを狙う脇キャラの設定はかなり入り組んでいて、正直、見ていて頭に入ってきにくい。また物語の展開が早すぎ、主人公レイのキャラクターの掘り下げが甘く、少年の夢がどんなものなのか伝わってこない。絵の線だけは子供向けになっているが、設定の粗雑さは「わかる人だけわかればいい」という『AKIRA』の世界から変化しておらず、宮崎アニメの丁寧さや感動はない。
  しかも、SFならともかく、現実の歴史上の街を大規模に破壊しながら、罪なくして死んでいく犠牲者を一切描かないのは問題がある。アメリカの武器産業への批判のような匂いを込めておきながら、テクノロジーが殺戮を生む悲惨をきちんと表現しないのは、戦争が相次ぐ現代の映画としては偽善ですらある。挙げ句、エンドタイトルで第一次大戦を肯定するような映像が展開されるに至り、憤りすら覚える。
  アメリカ財閥の令嬢スカーレット役で小西真奈美が弾けた声優ぶりを発揮しているのが唯一の救い。監督が作った巨大な箱庭での破壊ごっこを楽しむのにつき合わされた印象が残る。物語も哲学も不在の趣味的アニメにこの労力を費やす意味は疑問だ。

(7月17日より東京・日比谷映画ほか全国東宝洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.27  7月13日号]


イザベル・アジャーニの惑い(2002,フランス)
★★★

  狂気一歩手前の恋を演じさせて、右に出るものはいない女優、それがイザベル・アジャーニだ。私生活でも数多くの監督、俳優と恋の遍歴を重ねている彼女の新作『イザベル・アジャーニの惑い』は、フランス文学史上屈指の古典ラヴ・ストーリー『アドルフ』の映画化である。
 舞台は革命直後のフランス。大学を出たばかりの野心家アドルフは、南部の街の伯爵の妾、エレノールに強い恋心を燃やす。妾であり母でもあるエレノールは、彼に魅力を感じつつも、求愛を拒絶し続ける。
すべてを捨ててパリのアドルフの許に飛び込んでゆくエレノールの情念が、映画をぐんぐん牽引してゆく。
 しかしアドルフは、家族からエレノールとの関係を認められず、それに逆らうかのように、彼女に求婚する。ふたりはエレノールの故郷、ポーランドに逃れるが、愛の炎は徐々に小さくなってゆく。
 アジャーニは、時代遅れにも思われる、静かに燃え上がり、やがて膨張し、最後には自分の恋心ゆえに自滅してゆくヒロインを見事に演じきっている。
 愛の情念がスクリーンを埋め尽くす、文芸大作の香気に触れてみよう。

(7月10日より東京・シネスイッチ銀座にてロードショー)
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年7月号に一部修正]


魂のシネアスト 高林陽一の宇宙(1959-,日本)
★1/2-★★★

  寺山修司の初期短編のように、かつて全世界で多くの個人映画作家は、8ミリ・フィルムで、個性的な作品を旺盛に作っていた。8ミリ・フィルムはリバーサル・フィルムなので、ネガが存在しない。つまりコピー・プリントを焼くことができず、オリジナルが破損すると映画は永遠に失われる。だから近年では、普通の映画とひと味もふた味も違う、独特の質感とフォルムに触れる機会は、極めて少ない。
  そんな貴重な8ミリの名作が、デジタルの力で甦った。日本の8ミリ映画界の草分け的存在、高林陽一が1959年から61年にかけて作った4本の初期8ミリ映画が、DV化され劇場公開されるのだ。高林の作品は「歩く映画」とも形容され、カメラを片手に自分が見るもの、呼吸する空気、そのとき自分が感じたイメージをフィルムに収めた作品が多い。東京奥沢の九品仏寺を撮った『南無』(★★★)では仏足石がシベリウスの音楽と共に表れ、『石が呼ぶ』(★★★)では自作のテクストとチェロの調べが、滋賀と京都の二つの石仏群と共鳴する。そこを吹く風、そよぐ草、たたずむ木々を、撮る対象と同格に配置し、「映画の庭園」とも呼びたい世界を展開する。その感性は35ミリの劇場用映画『すばらしい蒸気機関車』(★★1/2)でも遺憾なく発揮されている。独特の呼吸の美は、暗闇の中でしか体験できない、映画の原点である。

(6月11日より東京・ポレポレ東中野にてロードショー)
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年7月号より]


イオセリアーニに乾杯!
四月(1962,ソ連) ★1/2
歌うつぐみがおりました(1970,ソ連) ★★★★
蝶採り(1992,仏-独-伊) ★★★★
 作品評はこちら


群盗、第七章(1996,仏-ゲオルギアほか)
★★★★★

  90年代屈指の名作『群盗、第七章』が、遂に日本公開される。これはテレビから毎日戦争報道や凶悪犯罪が報道されるいま、見るに値する数少ない戦争映画だ。
  舞台は黒海沿岸の小国グルジア。中世の王政時代、社会主義革命前後の20世紀前半、民族紛争で内戦状態の90年代の三つの物語を、パラレルに表現してゆく。
  中世の王は金と領地のために隣国を攻め、略奪とレイプの限りを尽くす。自分を裏切る者は、最愛の妻だろうが、拷問や死刑に処する。その拷問器具の記録を、20世紀のコミュニストが本で見つける。彼らは泥棒と組んで活動資金を調達し、権力奪取に成功。金持ちを「革命の敵」に仕立てては拷問の末処刑し、財産を着服し贅沢の限りを尽くす。その社会主義が崩壊した後は、マフィアが武器商人として、請負テロリストとして内戦を煽り、巨額の富を得ている…
  時代を貫く残虐と放埒の数々が、とても軽やかに描かれる。悲劇を訴えるのでもなければ、風刺を狙ったコメディでもない。そこに浮かび上がるのは、人を殺しながら平気でメシを食う人間の本性なのだ。「殺しが当たり前」の日常を、ここまで自然に描いた映画は空前である。
  そんな日常に育った子供たちは、平気で他人を売り、殺す。優等生の小学生は、成績を上げるために、秘密警察の拷問官である父を密告する。マフィアの首領の娘は、壁に飾っていた機関銃で家族を皆殺しにし、平然と電話で自首する…
  人間は進歩などしていない。殺戮、略奪、裏切り、少年犯罪は何千年も前からずっとあり、これからもなくならない…全編が物々しそ皆無で、淡々と軽やかなので、何となく見ている内に、気がつくと深い絶望に叩き落とされ、心が真っ暗になる。
  そんな世の中をどう生きればよいのか? 現代最大の巨匠、『月曜日に乾杯!』のイオセリアーニ監督は、ラストで観客に一つの選択肢を示す。それは普通の社会派作品が出すものと正反対の選択だ。戦争の世紀を生きる男として、キミはその選択をするのかしないのか?
  製作後8年を経て、古びるどころか新しさを増した、巨匠のマスターピース。今年のベスト・ワンと断言する。

(6月19日より東京・渋谷 シネアミューズにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.25  6月29日号]


トスカーナの休日(2003,アメリカ)
★★

  30代の映画ファンにとって、ダイアン・レインは思い出深い女優だろう。『リトルロマンス』の利発な少女、『ストリート・オブ・ファイヤー』のロック・スターなど、青春のシンボル的スター女優だった。その後結婚・離婚を経て低調をかこち、脇役に甘んじていたが、去年公開の『運命の女』で不倫する人妻を、清潔な大人の色気で演じきり、見事にブレイクしたのを喜んだファンも少なくないのではないか。
  この映画ではそんな新しいダイアンの魅力が爆発。ムリ目の才女なのに心はヨワヨワという、今風の「負け犬女」が再生物語を、ゴージャスなスター映画にしているのだ。
  ヒロイン、フランシスは美人で大学の講師をして高収入。小説家の夫を食わせて余裕綽々で満たされた生活をしていた。ところが夫が若い女に浮気して離婚を申し立てる。しかも「オレには収入がない!」と慰謝料まで請求され、住む家を明け渡す不幸のどん底に突き落とされる。   フランシスは傷心旅行に出たイタリアで、元貴族のヴィラだった家に一目惚れ。貯金をはたいて買ってしまう。ところがこの家、見た目こそいい雰囲気だが、中身は蛇口から水が出ないくらいボロボロ。夫に捨てられた美人のフランシスとそっくりなのだ。
  そこでフランシスは新天地イタリアで、家を修繕すると共に、自分を建て直してゆく。ポーランド移民の職人の男の子が、親方の娘と恋をしたり、アメリカからレズの友だちが「振られちゃった~」と飛び込んできたり、フランシスの家は、「人類みな兄弟」的な賑やかさで、疑似家族化してゆく。
 フランシス本人もちゃっかりイタリアのイケメンと恋をしながら、自分が忙しくてほったらかしにした結果、捨てられてしまう。こうして彼女は自分を反省し、生きる意味を再発見してゆく。   うまそうなイタメシ、カワイいイタリア娘も登場し、最後はホッとする、まさに癒しのフルコース。イタリアの大地とハリウッド的娯楽精神がうまくブレンドされた佳作だ。失恋で凹んでるキミが、ジメジメした季節を跳ねとばし立ち直るには最適の。「見る精神安定剤」である。

(6月12日より東京・渋谷 Bunkamuraル・シネマにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.23  6月15日号]


21グラム(2003,アメリカ)
★★★1/2

  臓器移植を待つ大学教員、平凡だが幸せな家庭の主婦、犯罪者としての過去を改め信仰に生きる男。何の関係もない三人が、あまりにも残酷な運命のいたずらで出会うとき、いかなる慰めも届かない、人生の暗く切ない深淵がばっくりと口を開ける…
 『アモーレス・ペロス』で衝撃のデビューを飾ったメキシコのイニリャトゥ監督のアメリカ進出第一作は、前作より過激。商業的妥協など全くせず、個性的世界を爆発させている。ドラマの展開をバラバラにして再構成。人間の力ではどうにもできない、人生の渦を凄まじい求心力で創出してゆく。悲しみ、怒り、悔悟、自暴自棄、そしてやるせないラストまで、人間の原罪と絶望を、圧倒的エネルギーと迫力で描き切る。
  主演の三人はこれまでで最高の演技。是非スクリーンで体験したい新しい傑作の誕生だ。アカデミー賞は『21グラム』こそが独占すべきだった!

(6月5日より東京・丸の内ピカデリー2ほか全国松竹・東急系にてロードショー)
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年6月号]




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