目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
詳細はこちらをご覧下さい
ウォレスとグルミット、危機一髪+アードマン・コレクション2
20世紀ノスタルジア
バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲
浮き雲
モンド
ピーター・グリーナウェイの枕草子
もののけ姫
テシス 次に私が殺される
ウォレスとグルミット、危機一髪コレクション(1996,アメリカ)+アードマン・コレクション2
昨年秋、短篇人形アニメとしては快挙と言えるヒットを放った『ウォレスとグルミット』。最新作『ウォレスとグルミット危機一髪!』(★★★)がウレシイお目見得だ。
オトボケ発明家ウォレス、今回の新兵器は"自動羊毛刈取編み機"。「なんじゃ、そりゃ?」と思うでしょ。ふふふ、その威力は見てのお楽しみ。実は今回、ウォレスは恋をしてる。そのお相手が毛糸屋の女の子、てワケだ。
無口な(?)相棒の犬、グルミットも、前二作に負けず、ボケのウォレスに代わって、不穏な事態を嗅ぎ付ける。ところが凶悪犬のワナにハメられ、なんと冤罪で刑務所行き…あわれグルミットの運命やいかに!?
なつかしくも楽しいニック・パーク・ワールド。クライマックスのパワー・アップに拍手しよう。
しかもだ、今回の公開は「アードマン・コレクション2」と題し、イギリス・アードマン・プロの傑作人形アニメ群が、ドドッと見られちゃう。『なくしたハンドバッグ』(★★★)はイギリス不気味流スリラーの味と、大ボケギャグが一緒になった怪作。ゴッホかキリコを思わせる原色の背景に空間の歪み、それとカワユイ人形のギャップが、妙に笑える。 極めつけは『ネクスト』(★★★★)。シェイクスピア本人(もちろん人形)が自作の全戯曲の名場面を、すべて無言で、10分で演じてしまう。シーンの選び方のセンス、人形の動きと流麗なリズムは圧巻。シェイクスピアを知らなくても、ゾクゾクしてくる。
他にもオマケと呼ぶにはゼイタクすぎる作品ばかり。全部でしめて69分!
超大作揃いのこの夏の陣、この"小"大作の目白押しは大穴のプレゼント。さあ、とくとお楽しみあれ!
(8月2日より東京シネ・ラ・セット他にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』Nos.34/35, 1997年8月19日−26日合併号]
20世紀ノスタルジア(1997,日本)
★★1/2
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(8月2日よりテアトル新宿他にてロードショー)
バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲(1997,アメリカ)
★★1/2
突然ですが、この夏の娯楽大作ナンバー・ワンは『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』で決定!
シュワちゃん久々の悪役、Mrフリーズはすんごいぞぉ。謎の冷凍銃で人間をカチンコチンの氷の固まりにしてしまうのだ。しかも「12分以内に解凍すれば、命は助かる」と慈悲深い言葉を残して、悠々敵前逃亡を遂げる異色ぶり。
迎え撃つバットマンは三代目のジョージ・クルーニー。テレビの『ER』で日本でも人気急上昇。初代のクラさ、二代目の線の細さもなく、最高にハマってる。
最初の2本の欝屈した雰囲気にノレなかった君も、今回は楽しめる。開巻いきなり最新モデルのバット・カーはじめ、バットマン・アイテムのオン・パレード。何の説明もなく、いきなりMrフリーズとの戦闘に雪崩込む怒涛のテンポに血湧き肉躍るぞ。
クリス・オドネルも、他の映画だとヤッピーの若造にしか見えないけど、ロビン役なら最高だ。ファム・ファタール役のユマ・サーマンをめぐって、バットマンとお約束どおりの"仲違い"するあたり脚本の気配りも心ニクイ。
ティム・バートン系バットマン・フリークの諸君もご安心。第一作のジョーカー、第二作のキャット・ウーマン同様、Mrフリーズにも、悪に走る深い心の傷があるのだ。
みんな言わないけど、シュワちゃんって、とっても演技派なんだぜ。特殊メイクで頭部を固めながら、感情の襞を演じ切ってるぞ。要注目。
全四作中、セリフのカッコよさは今回が最高。アクションとか、ちょっとしたセリフのやりとりの終わりに出てくる"キメの一言"ってあるだろ?それがビシバシ、キマリまくるのだ。やっぱ、アメリカ映画はこうでなくっちゃ!
さあ、ここまで言われて見逃すかぁ!? 映画館で、熱く凍りつけ!
(8月2日より丸の内ピカデリー1他全国東急・松竹洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.32, 1997年8月5日号]
浮き雲(1996,フィンランド)
★★★★1/2
カウリスマキの映画はいつも、おかしくて、切ない。普通の人の当たり前の、歓びや悲しみを、彼ほど的確に描ける監督は、現在、いない。
前作『愛しのタチアナ』では、過ぎし50年代へのノスタルジーを、完璧といえるスタイルで表現。「もうこの人、映画作らない覚悟?」と思わせる、やさしくも痛ましい映画だった。その後、監督の分身的俳優、マッチ・ペロンパーが死んでしまった…
しかしカウリスマキは生きていた。最新作『浮き雲』は、愛しい過去を未来に転換する、離れ業をやってのけた、奇跡的傑作だ。
ひとはなぜ生きるのか?それは愛し、働くためだ。愛と労働の共通点―それは他人から必要とされているという、実感だ。愛し合うから、ひとの関係は深まってゆく。一所懸命働くから、他人から認められ、それが嬉しくて、仕事の技に磨きをかける。これこそ社会の基盤をなす動機だ。 だからハイテクやリストラで、失業することなどあってはならない。「お前の居場所はもうないぞ」などと言う権利は、誰にもない。それを許す社会は「悪」なのだ。
この映画で中年夫婦は突然同時に失業してしまう。カウリスマキ映画の常として、ふたりは無表情に近い演技をみせる。その表情のなさがどんな名演技より、ふたりの心の絆の靭さを感じさせる。この演出マジックに驚嘆。
お金が欲しいんじゃない。労働は、どんなささやかな仕事でも、人間の尊厳をかけた戦いなのだ。監督は独特のユーモアに包み込んで、ふたりが「生きる」のにふさわしい舞台をラストに用意する。
これがハッピー・エンドでなくて、何が幸せだろう?
いま一番語られなければならない物語が、ここにはある。
(7月下旬よりユーロスペースにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.32, 1997年8月5日号]
モンド(1996,フランス)
★★★1/2
いまの世の中がどうしようもないものになっていることは、もはや隠しようがない。
ドンパチ映画を見て、ストレス解消にしても、自分の現実は変わらない。依頼心丸出しの「やさしくしてね」映画の家族ものやラブ・ストーリーは、見ていて逆にムカツイてくる。クソ真面目な社会批判映画だと、監督に「テメエ、何様のつもりだっ!?」と突っ込みたくなる。
要するにいまは、誰もが心やさしくなれる映画が、とても少ないのだ。
『モンド』―ル・クレジオの短篇小説の映画化という大胆な試みは、美しく、心に沁み込む結晶をとなった。
南仏海辺の街、ニース。ある日突然、ジプシーの少年が現れる。「ぼくを養子にしてくれない?」そう聞いてまわる少年、モンドは、いつのまにか街の人々の仲間になっていく。
モンドは野宿する。風が、木の葉が、水が、モンドの手にかかると、まるで産まれて初めて触れるような、瑞々しさで迫ってくる。夏の海辺、太陽の光のやわらかい鮮やかさ。夜の森、静かに訪れる眠りのやすらかさ…
モンドは寂しい少年だ。寂しいから彼はひとにやさしい。そのやさしさが、人々の心を和ませてゆく。
英語を話す物乞いの老人ダディ、ジプシーのマジシャン、モンドに文字を教えてくれる釣り人、毎朝パンをくれるおばさん…モンドの存在そのものが、寂しく生きている人々に、ひとときの幸せをもたらしてくれる。
90分に満たない上映時間、その一瞬一瞬が、かけがえのない、生の時をたたえている。映画を見る歓びと、生きる素晴らしさの調和。
こういう作品は大声で「傑作」と叫びたくない。静かに、息を潜めて見つめたい。 本当に、心から、感動する。そして映画館を出てくると、少しだけ、ひとに優しくなれる。この夏、一番大切な映画。
(7月下旬より銀座テアトル西友にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.28, 1997年7月8日号]
ピーター・グリーナウェイの枕草子(1996,日-英-仏-独-オランダ)
★1/2
悪評高い『ピーター・グリーナウェイの枕草子』。監督の横暴さに日本側の歴史アドヴァイザーが全員降板のスキャンダル。完成した作品は国辱ものとけなされサンザンだ。
だが、批判する側のレベルがあまりに低い。確かにグリーナウェイは明らかに『枕草子』を誤読している。西洋人の「ああ勘違い」的日本像もないとは言わない。しかし『ベイビー・オブ・マコン』で脱皮した監督が、ただの趣味だけで、日本と香港を舞台に、こんな大作を作るわけない。
映画で朗読される『枕草子』は、英訳から再度現代日本語に訳されたもの。有名な一段の、手紙を表す「ふみ」がletters と英訳され、監督の誤読により、文字に関する映画になった。『枕草子』の世界に憧れる現代女性、ナギコの存在は『更級日記』の作者に、漢字と女性の関係は『紫式部日記』、男権社会への挑戦という点では『かげろう日記』と酷似している。監督の勘違いが、結果として、日本人が誰も映画にしなかった、平安女流文学の本質に肉薄しているのだ。
ヨーロッパのインテリはみんな、シェイクスピアのソネットを暗唱してるんだ。そういう連中が作る映画が、ただ見ただけでわかるものか!
たまには一本の映画を理解するために、難しい本の十冊くらい、読んでもいいんじゃないか?
そうすれば映画に登場するヨーロッパ言語が、すべて聖書の引用と祈祷文で構成されていることと、漢字の関係が見えてくるのだ。それに比べれば「70年代に軍歌を流している印刷所なんかない」なんて欠点は、些細な傷だ。
この映画を正当に受けとめられるのは、全世界で日本人しかいない。黙殺することで、自分の怠惰と無知を匿そうとするな。これは大変な問題作なのだ。
(7月19日よりシネマライズにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.30, 1997年7月22日号]
もののけ姫(1997,日本)
★★
宮崎駿が『天空の城ラピュタ』(★★★★1/2)以来、久々に少年を主人公に長編を作る! これで期待するなという方が無理だ。『もののけ姫』の舞台は中世戦乱の日本。少年アシタカはタタリ神を退治したため、不治の病に冒される。神々の怒りを鎮め、病を治すために、冒険の旅へと出かけるのだ。
このオープニング、ジーンとくるのだが「なんかドラクエみたいだな」とも思う。そして映画は意外な方向へと暴走しはじめる。
とにかく人がたくさん死ぬ。宮崎作品中もっとも残酷描写が多い。しかもストーリーが複雑なので、子供には理解できないのではないか。
込められたメッセージは深く、重い。『風の谷のナウシカ』から更に踏み込んでいる。人間は自然を破壊しなければ生きてはいけない。だからといって、自然を蹂躙してはいけない。そのジレンマの中で、社会はどうあるべきか?
善と悪は単純に区別できるものではない。誰も手を汚さずにはいられない。その上で、人間はどう生きるべきか?
映画のトーンは暗く、重い。そこに世界に誇るジブリのスタッフの技術が結集され、異様なスピード感を持った作品になっている。
しかし、傑作かというと、大いに不満が残る。いつの間にか主人公が「もののけ姫」サンと、製鉄所を率いる若き女、エボシ御前にスライドしてしまい、アシタカに存在感がまったくないのだ。
途中の見せ場も初期の代表作『太陽の王子ホルスの大冒険』(★★★1/2)や『風の谷のナウシカ』(★★★1/2)『ラピュタ』と同じパターンで、「またかよ」という気がしてしまう。
2時間13分、退屈はしない。ただ子供向けとしては難解すぎるし、大人向けとしては細部の詰めが甘い。
それとも、これって宮崎駿版『エヴァンゲリオン』なのかしら?
(7月19日より日劇プラザ他全国東宝洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.31, 1997年7月29日号]
テシス 次に私が殺される(1995,スペイン)
★★★1/2
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(7月19日より中野武蔵野ホールにてロードショー)
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