Office NESHA presents movie guide
Aug/ Oct. 2000

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
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薔薇の眠り
ペパーミント・キャンディ
X-メン
60セカンズ
特集・小川紳介と小川プロダクション
『三里塚・第二砦の人々』『ニッポン國古屋敷村』ほかほか
ディル・セ 心から



薔薇の眠り(2000,アメリカ)
★★1/2

  デミ・ムーアの映画界最大の貢献は『オースティン・パワーズ』の製作に参加し、出演しなかったことである。

  何の間違いか世界一ギャラの高い女優になって以来、『素顔のままで』『GIジェーン』と、史上類を見ない怪作を連発し、全世界を唖然とさせ続けてきた暴走ぶりは、もはや常人の知性が及びつかない境地に達している。

  そんなデミは最新作『薔薇の眠り』で、またしても観客を驚かせてくれる。南仏プロヴァンスで夫を亡くし、ふたりの娘を育てながら文学評論家としての生活を送っている。だが彼女は一度眠ると、ニューヨークでキャリア・ウーマンとして、もうひとつの人生を生きていた。

  やがて彼女はふたつの世界で別々の恋人と出会う。いったいどちらの人生が夢で、どちらが現実なのか……

  当然デミはふたつの世界のキャラクターを、まったく演じ分けられていない。文芸評論家と実業家、どちらのキャラもそれらしく見えない。「中年女が二股の恋をしてもいいじゃん」という、不倫肯定映画だろうと思っていたら、ラストで見事に裏切られた。

  これは秋の夜長にふさわしい、新しいタイプの正統派ミステリー映画。南仏とニューヨーク、対照的に見えるヒロインの生活にある、共通アイテムを拾いながら謎解きを楽しむ、知的ゲームなのだ。

  不自然に見えるディテールを、高をくくって、映画の欠点だと思っていると、実は謎解きの伏線になっており、まんまと脚本と演出の術策にはまってしまう。その計算と力量は侮れない。

  監督はいじめ被害者必見のベルギー映画『ぼくのバラ色の人生』のアラン・ベルリネール。初のハリウッド進出にも臆せず、デミの演技力のなさを逆手に取り、ふたつの人生のハリボテ感を巧みに演出。ラストで彼らしい精神のトラウマのテーマを持ち込む辺りまで、実にしたたかだ。

  いわばデミ・ムーアという何をしでかすか分からない存在があって、初めて実現した秀作。もしこれが確信犯だとしたら、デミは恐るべきスターである。

(10月28日より丸の内ピカデリー2ほか全国松竹洋画系にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.46,2000年11月14日号]


ペパーミント・キャンディ(1999,韓国)
★★★

 『シュリ』の登場で一躍脚光を浴びた韓国映画界には、どうやら革命と呼んで良い激動が起こっているようだ。

 今でこそ自由を謳歌している韓国社会だが、十数年前には強圧的政治体制のもと、真の表現の自由も確保されていなかった。80年に軍部が労働運動を武力で圧殺した光州事件は、戦後韓国史の暗部として、永らくタブーとなっていたし、現大統領のキム・デジュンは、十年前には獄中にいた。

 そんな現代史のタブーを真正面から扱い、見事な成果を挙げたのが『ペパーミント・キャンディー』だ。

 主人公ヨンホは労働運動に関わりながら、徴兵により光州で同志に銃口を向けることを強いられる。この運命は紛れもない悲劇である。しかしこの映画は、悲劇を繰り返すまい、とメッセージを訴えるだけの映画ではない。映画はヨンホを擁護しない。彼が「政治の季節」が遠くなるにつれ、「結局世の中、理想より金だ」とばかりに、弱者を踏み付けにして、人を人とも思わぬ仕打ちを続け、社会の中で伸し上がってゆくからだ。

 光州事件当時、実際に民主化推進運動に関わっていたイ・チャンドン監督は、容赦なく同時代人のエゴと堕落を暴きだし、日本も含めた現代社会で、暗黙のうちに守られている、もうひとつのタブーを暴いた点で、世界的意義を持っている。

 それは「政治の季節」に若者だったオヤジたちに対する告発である。彼らは自分たちで勝手に挫折して、ヤケを起こして金儲けに走り、他人の迷惑など考えず、いい加減にウカレてバブル経済を呼び、現在の世界的不況の元凶を作ったのだ。

 日本で学生運動が頂点を極めたのは68年と、光州事件より早いが、社会の構造は、この映画で描かれる韓国と同じだ。韓国に10年近く先立ち「挫折オヤジのバブル時代」を迎えていた日本で、このような映画が一度も作られなかったことに、日本の全ての映画人は恥じなければならない。

 いまの社会に怒りを抱く若者は、この映画を見て、オヤジたちに対する真の戦闘を準備せよ。真の意味で革命的映画である。

(10月21日よりキネカ大森にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.42,2000年10月16日号]


X-メン(2000,アメリカ)
★★

  11才で『ピアノ・レッスン』に出演、史上二番目の若さでアカデミー助演女優賞に輝いたアンナ・パキン。

  最年少受賞者はテイタム・オニール(9才)だが、「天才子役」と騒がれたテイタムがテニスのジョン・マッケンローと離婚した後、なにをやってるのか聞かない。エリザベス・テイラーを唯一の例外に、ハリウッドで天才子役と騒がれる女の子は、一度ヤク中になったり脱いだり、挫折してからブレイクするか、女優やめるか、どちらかしかいなかった。

  しかし時代は変わる。アンナは『X―メン』で哀しい超能力を持つティーン・エイジャー、ローグを演じブレイク。「名子役は20才前後はダメ」のジンクスを破り、「おっ、カワイイ! この娘ダレ?」と言わせるだけの魅力を振りまくのだ。

  赤頭巾ちゃんのように頭からボロ布をかぶり、自分の居場所を探しまわるアンナの姿は実にイタイケなくも、内に秘めたタフさを感じさせる。とても繊細、だけど怖いという雰囲気は、まさに肉食獣のカワイさに似ている。

  原作コミックやアニメ版のファンはどう思うか分からないが、アンナ・パキンをローグ役に配したとき、映画『X―メン』の成功は確定したのではないか。

  社会から爪弾きに遭ったエスパーたちが、善と悪に分かれ戦う物語は、最近の流行にピタリとマッチ。SFXを駆使した映像も手堅くツボを抑えている。あとはキャラの魅力が勝負だ。

 『リーサル・ウェポン』の製作チームは『X―メン』もシリーズ化したいようで、主要キャラを丁寧に紹介。おかげでアンナはじめファムケ・ヤンセンのインテリ系の美しさ、アフロ系ハル・ベリーのクール・ビューティぶりを堪能しているうちに、アッという間に終わってしまう。

  男性キャラが揃ってお笑いノリなのもプラスに働き、アメコミの映画化にふさわしい軽さを失わないのも良い。監督ブライアン・シンガーの力量云々より、頭を空にしてイイ女を眺めて楽しむべし。

(10月7日より日本劇場ほか全国東宝洋画系にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.38,2000年9月19日号]


60セカンズ(2000,アメリカ)
★1/2

  70年代半ば、アメリカ映画界で「イッパツ芸アクション」と言える、B級映画が量産されていた。上映時間は1時間半程度、大スターは出ておらず、ラスト近くにひとつだけ大スタント・アクション・シーンがある、といった代物。

  当時、宣伝でこの唯一の見せ場をテレビ・スポットでガンガンに流していて、いざ本編を見ると、「イッパツ芸」に持ち込むまでの小技が、意外と面白いこともあった。

  その代表格が『バニシングin60』。スタント・マンだったH・B・ハリッキーが、監督・主演など何役も兼ねた映画。自分の趣味のためだけにスーパー・カー(うーん、死語じゃ)を、60秒以内に盗み出す。そのプロセスとスリルと意味のなさが痛快だった。

  だからこれが『アルマゲドン』のジェリー・ブラッカイマー製作で、リメイクされると聞いて、「あんなチャチな話をなぜ?」とビックリした。

  完成した『60セカンズ』は予想どおり、『ザ・ロック』以降のブラッカイマー印全作品同様、イッパツ芸ならぬ連発芸。大音響とSFXのオン・パレードである。

  だが「二百発連続大花火大会」も現場で見ていると、だんだんダレてくるように、この映画の1時間58分は長い。豪華アクションも連続すると、こちらの感覚がマヒしてしまい、「ああ、またか…」とシラケてしまうのだ。

  その理由は小技の不足。最近の車はコンピュータ制御、オート・ロックなど、ハイテク・カーが増えてきているのに、盗む手口があまりに安直、ちっともスリリングじゃない。

  一番の難点は、主犯のニコラス・ケイジが車泥棒をすることに、動機づけをしてしまったこと。それがブラッカイマー印でお馴染み、「家族を守る」では、「ええ加減にせいっ!」と突っ込みたくなる。

  せめてラストに無意味な大爆発シーンでもあれば、それなりに納得できたのかもしれないが。この程度の話には感動も辻褄合わせも要らないのだから、見せ物に徹してくれたらよかったのに。「B級映画に金をかければ大作になるわけではない」を体現した一本だ。

(10月7日より日本劇場ほか全国東宝洋画系にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.36,2000年9月2日号]


特集・小川紳介と小川プロダクション

  夏の行楽シーズン到来。海外で夏休みを過ごそうと、成田空港から空の旅に出ようと計画中の人も多いだろう。

  ただキミは「新東京国際空港」成立の過程を知っているか? 成田はたらい回し行政の結果、住民も知らぬうちに建設地に決定されたのだ。

  農民を中心とする多くの住民は「もっと事前に説明と、話し合いの時間をくれ」と反論。それに対し日本政府は代替地や補償金で懐柔策に出る。応じなかった農民には「問答無用、国に従え」とばかりに警官隊・機動隊を投入、暴力による強制土地収容を開始した。

  この「成田闘争」を収めた記録映画で、いまなお映画としての力と衝撃を失わずにいるのは、小川紳介監督率いる小川プロの作った「三里塚」シリーズである。

  第一作は『日本解放戦線・三里塚の夏』(★★★1/2)。日本の警察・機動隊が、犯罪者でもない農民たちを殴打し、暴力によって自由を、生存権を奪った事実を、自分の目でしっかり見据えよ。白黒映像が伝える「本物の暴力」を、日本国が日本国民にふるってから、まだ30年経っていないのだ。

  突然の事件に急遽製作された第三作『三里塚・第三次測量強制阻止闘争』(★★★1/2)の、武器持たぬ農民たちの抵抗を経験せよ。この「闘争」が「戦争」にまで発展した模様を収めた第四作にして代表作『三里塚・第二砦の人々』(★★★★★)は、現代日本人全員が見る義務を負う作品だ。『地獄の黙示録』より、『マルコムX』より残虐な暴力と悲壮な戦いを「日本の記録映画」が捉えた恐怖に慄け。これがオレたちの住む、「戦後日本」が立つ基盤なのだ。

  その後小川は山形県に移住、『ニッポン國古屋敷村』(★★★★1/2)で、稲を植え育てる農民の日常と、村にいまなお残る太平洋戦争の傷跡を一本の映画にまとめ上げる離れ業をやってのけ、「歴史」を静かに訴えかける。

 小川プロの作品には出来不出来の差はあるし、運営の仕方についても評価は様々である。だがここに挙げた作品が、映画の真のパワーを臨界点まで沸騰させた作品であることは、疑いのない事実だ。これに比べていまの日本の映画人は何をやっているんだ?

(8月9日より神田駿河台 アテネフランセ文化センター、11月BOX東中野にて追加上映)
アテネフランセ文化センターの上映スケジュールはこちら(同文化センターのサイト内のページに直接リンク)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.33,2000年8月15日号のオリジナル原稿]


ディル・セ 心から(1998,インド)
★★★1/2

 「ハリウッド」をもじって「ボリウッド」とも呼ばれる、ボンベイを中心とする映画界にとどまらず、近年インドの映画人の活躍ぶりには目を見張るものがある。『ムトゥ 踊るマハラジャ』で独特の濃さを楽しみつつ、インド出身のM・N・シャマランがハリウッドで監督した『シックス・センス』に舌を巻き、「近い将来、インドから凄い映画が飛び出すのではないか」と予感していた。

  いま、『ディル・セ 心から』でその予感が現実のものとなった。『エリザベス』のシェーカル・カプールが中心となり製作、『ボンベイ』で硬骨ぶりを発揮したマニ・ラトラムが監督。「マサラ・ムーヴィー」という狭い枠を越え、娯楽性・完成度・社会性、すべてを併せ持つ、真の超大作なのだ。

  全編2時間47分、ジャーナリストの男と、テロリストの美女の悲恋を軸に、ダレ場一切なし、暑さならぬ熱さがほとばしっている。

  開巻いきなり登場する、インド映画特有のミュージカル・シーンからして違う。山岳地帯の断崖絶壁を縫うように走る鉄道の屋根で、シャー・ルク・カーンがスタントなしで、A・R・ラフマーンの音楽に乗せて踊りまくるナンバーに度胆を抜かれる。

  ここには多くの国の映画が忘れてしまった、活動屋のチャレンジャー・スピリットがあふれている。最盛期の香港映画のごとき体当たりアクション、『ジャッカルの日』『ブラック・サンデー』を彷彿とさせる暗殺サスペンス、70年代後半までイタリア映画が持っていた社会問題の告発と怒り、そしてラストに『シュリ』より衝撃的なラヴ・ストーリーの結末が待ち受ける。『ボンベイ』のときより哀しい美しさに磨きがかかったマニーシャー・コイララの表情に、心を動かされずにはいられない。

  インド映画が数十年かかって作り上げたサナギが、大きな蝶となって空にはばたく瞬間が体験できる僥倖。趣味嗜好を問わず、あらゆる観客を揺さぶるに違いない、まさに歴史的モニュメント。この夏、『M:I―2』の真の有力対抗馬はこれだ。

(8月5日よりシネマスキエアとうきゅうにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.31,2000年8月1日号のオリジナル原稿]


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