目次
(レイティングは★★★★★が最高点。
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コン・エアー
ネイティブ・ハート
マンハッタン・ラプソディ
シングル・ガール
Go Now
素晴らしき日
コン・エアー(1997,アメリカ)
★★1/2
ハリウッド・アクションと言えば、最近はSFXものが主流。そこで「大作になるとスターが使えない」(『ID4』)、「スターを使うと脇の俳優が甘くなり、仕掛けもチャチになる」(『スピード2』)という慢性的欠陥がある。その不満をバスターしてくれたのが、昨年の『ザ・ロック』だった。
同じプロデューサが手懸けた新作『コン・エアー』は、アクション満載、スターの火花も散る、かゆいところに手が届く出来映えだ。
あのニコラス・ケイジが、オスカー受賞の余勢を駆って、タフガイ・ヒーローに変身するとは、期待をウレシクも裏切られた。対する悪役が、このところ"お芸術"映画で空回りしていたジョン・マルコヴィッチ。頭をツルツルにして、憎々しげな知能犯を怪演。凶悪犯護送用旅客機を乗っ取るという、荒唐無稽な設定も、彼の存在でリアリティを増す。
この悪役を、サイコ患者にしなかったところに、脚本最大の勝因がある。凡人を見下すself-educated man(日本語の「独学の人」とは異なり、「知識・教養の偏った、エキセントリックな人間」の意味)は、「こいつなら、ブッ殺しても構わんっ!」と素直に思える。そこがラストに、アクション必須のカタルシスをもたらすポイントになっている。
『ザ・ロック』の渋さはないが、男臭さ溢れるパワーが身上。これで、セリフにユーモアを盛り込む余裕があれば、『ダイ・ハード』第一作以来の傑作アクションになっただろう。
(10月25日より日比谷スカラ座他全国東宝洋画系にてロードショー)
[報雅堂『Composite』1997年11月25日号]
ネイティブ・ハート(1996,アメリカ)
★★
クソ暑い夏も終わり、バテ気味の日々が続く。この季節にピッタリの映画が『ネイティブ・ハート』。「ネイティブ」とはネイティブ・アメリカンのこと。今やすたれた西部劇の、逆襲・復権的アドベンチャー大作なのだ。
舞台は現代アメリカの田舎町。護送車から脱出した凶悪犯追跡のために、呑んだくれの元保安官が駆り出される。
演じるは『山猫は眠らない』のトム・ベレンジャー! アクション・ファンなら注目度の高さがわかるだろう。彼が馬にまたがってロッキー山脈を駆け巡る。古くからの映画ファンは『新・明日に向かって撃て!』を思い出して、グッとくる。
脱走犯は、山の中で何者かの手で殺されていた。現場に落ちている一本の矢。それは白人の手で虐殺、絶滅させられたネイティブ・アメリカン、シャイアン族のものに酷似していた。主人公は彼らの生息を信じ、捜索を始める。自分の心の傷を癒すためにも…
そこに絡んでくるのが、考古学者役のバーバラ・ハーシー。インテリだけどかわいい、大人の女の魅力を満喫させてくれる。女は決して出しゃばらず、要所で主人公をサポート、という冒険物の基本を押さえた脚本も心地よい。
やがて登場するシャイアンの桃源郷。そこに近づく白人の警察隊――西部劇のパターンを踏まえながら、ネイティブ文化と白人文明の共存へと持ち込むクライマックスは「お見事!」の一語に尽きる。『もののけ姫』の欺瞞性を越えた、ファンタジックなラストに感動を覚えるだろう。
アメリカの雄大な自然が、シネスコの大画面に拡がり、リゾート気分まで味わえる。本当の映画ファンなら泣いて喜ぶ、伏兵的傑作。暑気払い、夏バテ解消に是非!
(10月25日よりシャンテ・シネ1にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.39, 1997年9月23日号]
マンハッタン・ラプソディ(1996,アメリカ)
★★★1/2
金をかければ良い映画になるわけではない。しかし金と技術は、映画のクウォリティを維持する必須条件。『マンハッタン・ラプソディ』のゴージャスな楽しみが、その証しだ。
バーブラ・ストライザンドが製作・監督・主演を兼ねた三作目は、過去二作の肩に力の入った路線とは打って変わったコメディ。しかも『ファニー・ガール』から今日に至るまでの「バーブラ史」のような物語。いやらしいマスターベイションになりかねない題材だが、バーブラのコメディエンヌとしての才能が、自意識過剰をドラマごと笑い飛ばしてしまう。その度量が素晴らしい。
橋本治氏の『虹のオルゴール』(講談社文庫)にある優れたバーブラ論を読んでから見ると、面白みが倍増するだろう。「卓越した才能を持ったブスは、いかにして"女"としての魅力を獲得するか」「自己嫌悪の固まりみたいな自分を、どうすれば抱きしめて愛してあげられるか」についての映画。"コギャル文化"とやらの陰で、自分の道を見失っているすべての女性に送られた応援歌だ。
それが自分史であり、同時に一流のエンタテインメントになっているところが、ハリウッドの懐の深さ。撮影のダンテ・スピノッティはじめ、一流の美術・衣裳・照明・音楽スタッフの技量が、小さな話を娯楽大作のレベルにまで持ち上げている。脇を固めるローレン・バコールの貫禄はもちろん、70年代からの映画ファンには、『ウィークエンド』(ゴダールじゃない方)のブレンダ・バッカロと再会できる 、うれしいオマケつきだ。
(10月18日よりシャンテ・シネ3にてロードショー)
[報雅堂『Composite』1997年11月25日号]
シングル・ガール(1995,フランス)
★★★
映画の"作者"って、いったい誰なんだろう?監督が映画を思い通りにしてるって信じてる人が多いんじゃなかろうか。
でも現実に映画を"撮る"のは撮影監督の役目。それが監督の力量を超えちゃうこともままあるのだ。
『シングル・ガール』。主演は『カップルズ』出演前のヴィルジニ・ルドワイヤン。監督は『デザンシャンテ』でジュディット・ゴドレッシュを舐め回した(実生活でも)ブノワ・ジャコ――ときたら、そのテの趣味の君は、ウズクんだろうな。
だが、この映画はそんな期待を見事に粉砕してくれる! ミドル・ティーンと思しき少女が、ホテルに就職する。彼女のお腹には、彼氏の子供が宿っている。堕ろしたものか、どうしようか…
ホテルにはいろんな人間が集まっている。セックス狂いのカップルに因縁つけられたり、先輩のボーイにセクハラされたり。
カメラは寡黙な彼女の朝の1時間半を、ほぼリアル・タイムで納めてゆく。一瞬の表情の変化も洩らさず捉えようと、少女を追い続ける。その冷静さと距離感、そして決して少女を見下さないカメラ・アイが徐々に凄味を増す。
撮影監督はカロリーヌ・シャンプティエ。現代フランス映画をを代表する女性撮影監督である。
大人の女の眼が少女の生き様を追う、スリリングなセッション。ここにロリコン趣味が付け入る余地は、ない。等身大の少女を描き出す、異色だが文句なしの傑作だ。
本誌グラビアのお世話になっている読者は、この映画を見る義務がある。"少女"に対する見方を、きっと変えられる。男にとって、かなり苦いラストも含めて。
(10月、シネ・ヴィヴァン六本木にてレイト・ロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.36, 1997年9月2日号]
Go Now(1996,イギリス)
★★1/2
ハリウッド的娯楽を「何かちがう……」と感じているなら、イギリス映画だ。貧しくなりつつある中産階級の苦しみの描写が、バブル以降の日本の現実にオーバーラップする。
80年代半ばから今日までの、"アート系"映画のトレンドに「異形の哀しみ」がある。リンチ、クローネンバーグ、バートンなど、社会に受け入れられない哀しみを、「異形」の主人公に託すのだが、作品の本質は、驚くほど無責任か、センチメンタルだ。
本当に「受け入れられない者」は、「普通でありたい」「当たり前に生きたい」と願う。「受け入れてほしい」なんて卑屈な精神は、現実を直視しないオタクの甘えだ。
『Go Now』はいわゆる難病ものラヴ・ストーリーに分類される映画だが、このジャンルの壁を破った、快挙というべき作品である。
イギリスの地方都市で、ブルー・カラーの男と女が、当たり前のように恋に落ちる。突然体が動かなくなる男。彼を愛し、悩み続ける女、その愛情が「同情」なのではないかと疑う男……見ていて突然、自分がふたりの心理の動きに、我が事のように感情移入していることに気づき、驚くことだろう。
この世のなかに「異形」など存在しない。まっとうな生活を求める人間がいるだけだ。ふたりのドラマを快活なテンポで編集し、85分とタイトにまとめ上げた、若い作り手たちの力量は賞賛に値する。初主演のヒロイン、ジュリエット・オーブリーの存在感が強い印象を残す。若手女優だけに絞れば、いまはイギリスが最高だ。
(10月上旬よりシネ・ラ・セットにてロードショー)
[報雅堂『Composite』1997年11月25日号を一部訂正]
素晴らしき日(1997,アメリカ)
★1/2
アメリカ映画は10年後の日本の現実?って法則がある。
80年に『9時から5時まで』が日本公開されたとき、女性社員が結託して、中年男の上司を吊し上げる話は、荒唐無稽なコメディに見えた。86年、セミ・ドキュメンタリー『子供たちをよろしく』公開時、家に帰らず売春を続ける14歳の少女の姿は、日本の観客に衝撃を与えた。ところがいまは、全部日本の現実でしょ?
一見ハリウッド流お気楽ラヴ・コメの『素晴らしき日』も、そういう見方をすると、ちょっと面白い。
片や男顔負けの建築家、片やスクープ狙いの辣腕ジャーナリスト。共にバツイチの子持ち。二人が子供を小学校の課外学習に送っていくとき、携帯電話がすり替わってしまい、数々の騒動が持ち上がる。やがてふたりには、ほのかな恋心が……って、設定だけは"今風"なんだな。
舞台はニューヨーク。二人はインテリ階級。物語の隙間から、アメリカの階級社会が見え隠れする。「アフロの子供はみんな麻薬が日常」と言わんばかりのエピソードなんか……日本も10年したら、こんなヤな国になっちゃうのかなあ(もうなってるか……) 脚本は70年代『グッバイ・ガール』はじめ一世を風靡した劇作家ニール・サイモンの娘。娯楽のツボを押さえてて、ウマイんだけど、現代の眼から見ると展開は古めかしいし、WASPのエリート意識と男尊女卑的オチが鼻につく。
でも、許すっ!全部許しちゃう。だって主演のミシェル・ファイファーが、カワイイんだもん!!
最近「アカデミー賞欲しい!」って見え見えの演技で、空回りしてたミシェルが、久々のコメディで素敵なんだ。ラスト、鏡の前で必死にオシャレする彼女の姿は、抱き締めたくなっちゃう!共演のジョージ・"バットマン"・クルーニーもイイぞぉ。
(9月上旬、日比谷みゆき座他にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ 』No.37, 1997年9月9日号]
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