Office NESHA presents movie guide
Sep./ Oct 2004

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
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隠し剣 鬼ノ爪
コラテラル
やさしい嘘
モーターサイクル・ダイアリーズ
モンスター
世界で一番不運で幸せな私
ジェリー
トゥー・ブラザーズ
フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白
父、帰る



隠し剣 鬼ノ爪(2004,日)
★★★

  時は幕末。東北の海坂藩の平侍、片桐宗蔵は一度も人を斬ったこともない。時代は変わり、城内では大砲の演習が行われ、江戸周辺では新たな時代の風が吹く中、宗蔵は自宅に奉公する娘きえに淡い思いを抱いている。しかしきえは他家に嫁に行き、数年後二人は思わぬ再会をする。そしてお城からは宗蔵に、かつての親友、狭間弥市郎を斬れ、と上意がくだされ……
  山田洋次監督は、今回も藤沢周平の繊細かつ複雑な世界を、映画向けに思い切って単純化。時代の端境期の制度の下層で生きる人々の悲哀を、共感を呼ぶタッチで演出する。前半はラヴ・ストーリー、後半は剣劇という構成も、『男はつらいよ』シリーズを40本以上手がけた監督ならではの手際の良さだ。
  名監督の演出で永瀬正敏は俳優として一皮?けた。他にも若手俳優のフレッシュな演技と、緒方拳らベテランのアンサンブルが楽しめる。今年の日本映画界の収穫の一つである。

[10月30日より東京・シャンテ・シネにてロードショー]
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年11月号]


コラテラル(2004,アメリカ)
★★★

  大スターと巧みな展開の脚本、スリリングなタイム・リミットの設定と気の利いたセリフ。これだけ要素が揃えば、粋で面白いサスペンス・アクションは作れる。その好例を示す映画だ。   気は弱いがLAの道を知り尽くし、テクニックだけは抜群のタクシー運転手、マックス。この夜の客は、ビジネスマン風紳士、ヴィンセント。「お前が気に入った。一晩600ドルでこのタクシーを借り切ろう」と、客から提示された思わぬ儲け話に、上機嫌。
  ところが、彼はヴィンセントの正体が、情け容赦ないヒットマンだと偶然知ってしまう。マックスは自分のタクシーに監禁され、ヴィンセントがその夜の標的5人を消すまで、付き合わされる羽目に。仕事が完了すれば、夜明けに口封じに殺される……平凡な運転手マックスは、プロの殺し屋の手をどうやって逃れるのか?
  殺し屋役は『ラストサムライ』で役者として一皮剥けたトム・クルーズ。おしゃべりでエエカッコしいな、新しいタイプの殺し屋を好演。荒唐無稽な銃撃戦は、全盛期シュワちゃんも真っ青!? 一方「巻き込まれ型」の被害者マックスに扮するのは注目のアフロ系新進俳優ジェイミー・フォックス。二人の掛合い漫才風セリフの応酬は、古いハリウッド映画やフランスのギャング物を彷彿とさせる面白さ。マックスが脱出のために起死回生で試みるカー・アクションも本物の手応えがある。
  LAの日没から夜明けまでに凝縮し、全編はタイトでスマート。監督のマイケル・マン監督。『ヒート』などで男のドラマを暑っ苦しく、長ったらしく描きがちだったが、今回は「クール」という言葉がピッタリくる、新しい男の美学を見せてくれる。
 最後の標的の正体や、二人の最終対決など、山場のイベントが意外性を欠くのは残念だが、それを補って余りある、ディテールの面白みを楽しみたい。ビールよりは、ウィスキーのストレートが似合いそうな、味のある一編だ。

[10月30日より東京・有楽町 日劇1ほか全国ロードショー]
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.42  10月26日号]


やさしい嘘(2003,仏-ジョージア)
★★

  社会主義崩壊から10年以上経て、混乱が続く東欧の小国グルジア[ゲオルギア]。首都トビリシで90才を越えるおばあちゃんエカは、シングル・マザーで中年の娘、大学生の孫と三人暮らし。唯一の楽しみはパリに出稼ぎに行った息子、オタールの手紙と電話。ところがある日、娘と孫はオタールが事故死したと知らせを受ける。エカを傷つけまいと、二人は「やさしい嘘」をつき始める……
  今年36才の女性監督の長編第一作。女三人暮らしの本音を、歯に衣着せぬ調子で展開するドラマは痛快。「嘘」の余波に翻弄される人々の悲喜劇を楽しそうに描いてゆく。
  でも一番の見所は、85才でデビューし、この映画出演時は89才でエカを演じた、史上最高齢の「新進女優」、エステール・ゴランタン。その歩く姿や微笑みを見ているだけで、癒され、涙を誘われる。秋に相応しいしっとりした涙をどうぞ。

[10月30日より東京・シャンテ・シネにてロードショー]
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年11月号]


モーターサイクル・ダイアリーズ(2004,米-仏)
★1/2

  60年代、アルゼンチンのブルジョワ階級の青年二人が、行く先々で知らなかった南米の歴史や社会の不平等を知る青春ロード・ムービー。だがその青年がチェ・ゲバラとアルベルト・グラナードである必然性が、まったく伝わってこない。演出も『ビハインド・ザ・サン』のウォルター・サレス監督としては、手際の良さだけが目立ち感興が浅い。
  その原因は脚本の失敗にあると思われる。ロード・ムービーで最も興味深いのは「旅が人間をどう変えるか」なのに、二人の思想やものの見方の変化が伝わってこないのだ。
  第一にアルゼンチン時代、旅に出る前の二人の生活がほとんど描かれていないため、旅の前後で二人が変わったのか判断できない。第二に旅の先々で遭遇する事件に際しては、ゲバラの独白ナレーションがかぶるばかりで、ドラマの展開が不十分であることも手伝い、グラナードの内面はほとんど表現されない。ゲバラとグラナードの関係は、ずっと同一かつ単一のものと描かれているのも不自然だ。
  その結果ラストで――旅に出発する前から予定されていた通り――グラナードは南米に留まり、ゲバラはマイアミに向かう、別れの場面は感興が薄い。変化を伴わない別れは「ある時の終わり」以上の意味を持たないからだ。ステレオタイプの青春映画以上の内実は、このラストに不在である。
  もし見る側が「ゲバラ」という固有名詞に反応できれば、映画外の意味を注入して感動できるのだろう。「ゲバラ」を意味不明のアイコンとして受け止めている観客は、普通の青春映画として楽しんでいるという。だがそのどちらにも属さない観客にとっては、キャラクターの描き込みや、ドラマの薄さが不満を残す。
  あるいはロバート・レッドフォードらが製作総指揮をした、米英資本作品であることが、その薄さの原因なのか。紋切り型の「青春賛歌」「フロンティア精神」が随所に看取できるのも、老境を迎えた米国リベラリストの「ル・サンチマン」だと考えると納得がいく。案外それが、映画の真のテーマなのではないか。

[10月6日より東京・恵比寿ガーデンシネマにてロードショー]
[『キネマ旬報』 2004年12月上旬号]


モンスター(2004,米-独)
★★

  孤独なレズの少女と娼婦の、絶望的純愛を描いたイタいドラマ。レズであることが発覚し、故郷を追われたセルビーは、バーにずぶ濡れで一人入ってきた薄汚い女、アイリーンと出会う。二人の間には友情とも恋ともつかぬ感情が芽生える。実はアイリーンは女優を夢見て男に弄ばれ、身を持ち崩した娼婦だった。人生に絶望し、自殺まで思い詰めていたアイリーンだが、セルビーの無垢な姿に「守って上げたい!」と心を動かされる。同性愛者と娼婦、二人の爪弾き者に初めて訪れる癒しの瞬間。しかし堅気になろうとするアイリーンの前に世間は冷たく、彼女は偶然から、破滅への道を突き進んでゆく。
  美人女優シャーリズ・セロンは全編スッピン、しかもデ・ニーロばりにデブで醜い姿に変身。哀しい娼婦を文字通り体当たりで演じ、アカデミー最優秀主演女優賞を受賞。だが若い女の純粋さと残酷さを見事に表現した、セルビー役のクリスティーナ・リッチも勝るとも劣らぬ素晴らしい演技だ。

[9月24日より東京・シネスイッチ銀座他にてロードショー]
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年10月号]


世界で一番不運で幸せな私(2004,フランス)
1/2

  8歳で運命的な出会いをした、いい所のお坊ちゃんジュリアンと、移民の娘とイジメられるジョゼフィーヌ。辛い日常を忘れるために、ジョゼフィーヌは、イタズラ三昧の日々。淡い恋心から、ジュリアンが共犯者となったときから、二人の長い長い”ゲーム”の人生が幕を開ける。
 『世界でいちばん不運で幸せな私』は、踏み込みたいのに勇気が持てない優柔な男と、ワガママを抑えられず素直になれない女の、本気を避けた”ゲーム”のラヴ・ストーリーだ。監督はこれが劇場作品デビュー作となる、マンガ家兼CM監督ヤン・サミュエル。マリオンの活動はまだまだ幅広い。
  ”ゲーム”をけしかけるのは、いつもジョゼフィーヌ。親類の結婚式を台無しにしたり、自動車事故スレスレの無謀な運転をしたり、二人の”ゲーム”は洒落で済まない、危険なものになってゆく。
  そんなジョゼフィーヌに振り回され、ジュリアンは何度も彼女から離れようとする。しかし3年後、10年後と、時を切って結局彼女との”ゲーム”に舞い戻ってゆく。そんな二人の姿は、傷つくのを怖れ深い恋愛に踏み込んでゆけず、そのくせ真の愛を諦められない、現代日本の恋愛事情にも通じるものがある。

[9月24日より東京・シネスイッチ銀座他にてロードショー]
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年10月号より一部修正]


ジェリー(2002,アメリカ)
★★★

  同じ「ジェリー」と名乗る二人の若者は、車で荒野に乗り出し、食料も水も持たず、徒歩でさまよい始める。目的地はどこなのか? なぜ荒野を歩くのか? 映画は何も説明しない。ただ憔悴し、体力と精神力の限界を超える二人と、苛酷なアメリカの荒野を記録映像のように取り続ける。
  ベケットの『ゴドーを待ちながら』を思わせる不条理劇的設定が、アメリカの荒野で展開されると、作品からはアート臭さが消える。 アメリカは世界最高水準の豊かさを享受しつつ、国土の大半は携帯もつながらず、金も助けにならない無人の荒野。名作西部劇『死の谷』の舞台となった、デス・バレーをひたすら歩き続ける二人の姿は、そんな大地を祖国とするアメリカ人が、生に対して抱いている根元的恐怖と原罪をまざまざと暴き出す。   ストーリーを追うのでなく、劇場で二人の「ジェリー」と共に茫然自失に陥ろう。そのとき、アメリカ精神の歴史と本質が体験できる。
[9月18日より東京・渋谷ライズエックスにてロードショー]
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年10月号]


トゥー・ブラザーズ(2003,仏-英)
★★

  カンボジアのジャングルで産まれたトラの赤ちゃん二頭。アンコル・トムの仏像群に囲まれ、パパとママと幸せに暮らしていたが、西洋人のハンターに踏み込まれ、両親は殺され、兄弟は離ればなれ。一頭はサーカスに売られ、もう一頭はフランス人のペットとなる。この兄弟が1年後、競技場で命を懸けて1対1で戦うことに…
  いかにもディズニー辺りがアニメにしそうな題材を、何と実写で映画化。現地ロケ、トラも本物。CG合成ほとんどなしの映像に腰が抜ける。トラたちの動きは猛々しくもかわいらしい。これだけでも劇場に行く価値はある。
  だがフランス人監督、ジャン=ジャック・アノーが込めた「動物愛護」「文化財保護」のメッセージの方は、問題あり。「西欧の植民地支配者=悪」「東洋の現地民=善」の構図を打ち破る試みは意欲的だが、西洋人の責任逃れにも見えてしまうのだ。
  部族の長はじめ、カンボジアの現地民たちは「仏像を売れば金になる」「トラは人を食う猛獣だ。殺せ」と叫ぶ。これは切実で当たり前な要求だ。ただ、目先の豊かさと安全を求める開発が、政治腐敗、環境破壊を招き、社会や地球が危機に瀕している現実と照らし合わせると、「現地民=素朴」とばかりも言えないと、考えさせられる。
  しかしフランス行政官一家、金目当てのイギリス人ハンター、カンボジアの部族王朝の嫡子など、侵略する西洋人や支配階級の男たちが、何の反省もしないのはマズイ。場当たり的にトラをかわいがりつつ、自分の特権は手放さず、侵略や略奪を止めないのに、映画は彼らを愛のある善人として描いている。これでは「環境破壊の責任を東洋人になすりつける、西洋人の傲慢な映画」と非難されても文句は言えまい。
  結局映画に出てくる人間は全員悪人かバカ。最大の被害者はトラたち動物という感想が残る。そこから「真の動物愛護、環境保護とは?」と改めて考えるきっかけとするべき一本だ。

[9月18日より東京・丸の内ピカデリー1他全国ロードショー]
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.38  9月28日号]


フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白(2003,アメリカ)
★★1/2

 『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白』は、昨年『ボーリング・フォー・コロンバイン』が獲った、最優秀長編ドキュメンタリー映画賞に輝いた。第二次大戦中は軍人として日本本土の絨毯爆撃作戦の裏方として働き、60年代には国防長官としてキューバ・ミサイル危機を回避しつつ、ベトナム戦争の泥沼化を避けられなかった男、ロバート・S・マクナマラのドキュメンタリー映画だ。今なお広島・長崎への原爆投下を「正義」と信じている国民が多いアメリカで「日本への空爆は戦争犯罪だった」と断言し、本国で物議を醸した問題作だ。そしてベトナム戦争期は情報の誤認が元で、北ベトナムへの空爆が決定された事実も、当時の録音テープなどを駆使して暴かれる。その向こうに見えるのは、大統領という名の、民主的に選ばれた「王様」を拝むアメリカというシステムだ。『華氏911』と併せて、いまだから是非見ておきたい一本だ。
[9月11日より東京 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズにてロードショー]
[メディア・ファクトリー『ダ・ヴィンチ』 2004年10月号]


父、帰る(2003,ロシア)
★★★★

  映画はときどき、言葉より雄弁な力を発揮する。たとえば田舎道を走っている車の映像だけで、いろいろなことが分かることがある。その国が置かれている経済状況や、人々の精神状態、車に乗っているキャラクターの関係や心理、ひいては時代が抱えている声なき叫びまでが、一見単純な映像から、押し寄せるように伝わってくるのだ。
  音楽やセリフがなくても、映像は一瞬で「世界」をむき出しに、どんと観客に提示する。その緊張感は娯楽とは無縁だが、生きることを真剣に考える人間にとっては、救済の感覚すらもたらしてくれる。そんな映画を、かつては「芸術映画」と呼んだ。トレンドやカッコ良さを求める「アート・フィルム」とは無縁に「生きるとは?」というテーマと、真正面から取り組む名作が、かつては少なからず存在した。
  40歳の新人監督が作ったロシア映画『父、帰る』は、久々に「芸術映画」と呼ぶに相応しい一本だ。主人公は12歳の少年イワン。母と祖母、兄アンドレイとの4人暮らし。ソ連崩壊後のロシア小村で、荒んだ生活を送っている。ある日生死も分からなかった父が帰ってきて、息子二人を車で無人島への旅に連れ出す。
  息子二人は父に口答えし、悪態をつくが、父は黙って服従を要求する。ここにあるのは「一人前面しても、お前ら、中身は空っぽのガキじゃねえか!?」と父から否定されることを怖れる「息子」の世代の不安と悩み。そして何かを伝えたくても、子供と語り合う言葉を知らず、若者の不安を理解できない「大人」の困惑だ。そのズレが、クライマックスに二つの悲劇を用意する。
  全編にセリフはほとんどないおかげで、この3人の葛藤は全世界の男の魂を揺さぶる。戦争と拝金主義に覆われた、暗い21世紀初頭に、男として生きることの意味とは? どうすれば「大人」になれるのか? この重大テーマと真正面から格闘するこの作品は、映画の復活を告げる金字塔だ。

詳細な作品論は
こちら
[9月11日より東京・日比谷 シャンテ・シネ他にてロードショー]
[集英社『週刊プレイボーイ』 2004年 No.36  9月14日号]




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