Office NESHA presents movie guide
1999年 新春第一弾

レイティングは★★★★★が最高点。
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あ、春
スモール・ソルジャーズ
マイ・スウィート・シェフィールド
ラスト・ゲーム
ルル・オン・ザ・ブリッジ
In & Out
ビッグ・リボウスキ
ミスター・フリーダム


あ、春 (1998,日)
★★★1/2

  相米慎二は現代日本映画界で、最も重要な監督である。彼の成功作は「その時代にいちばん重要なのに、誰もが眼を背けていること」を描く。

  しかも決して古びない。『翔んだカップル』『ションベン・ライダー』『台風クラブ』、そして90年代のマスターピース『お引越し』と、彼の傑作陣は今も光を失っていない。

  その相米が四年ぶりに発表した『あ、春』は、前作『夏の庭』にあった違和感が、有益な捨て石であったことを証明する秀作である。

 過去の作品のような爆発力はない。長回しショットも影を潜めた。映画オタクのファンは失望するかもしれない。

  しかし『あ、春』には、技法上の特徴に隠れ、見逃されがちだった相米の特徴が、成熟を見せている。それは日常生活の微妙な瞬間を掬い上げる視点、不意に訪れるユーモア、そして人間の「生」の力強さの表現である。

  ふたつの死を軸に展開する、生活の復活の物語は、近年の日本映画では、珍しくない。問題はそれをどの角度から描くかだ。この点『あ、春』は、類似のどんな映画、テレビ番組、小説よりも成功している。

  佐藤浩市と斎藤由貴の夫婦、山崎努に藤村志保、富司純子(一瞬「藤純子」になる!)三浦友和、三林京子、村田雄浩という俳優陣を、相米は決して走らせない。役者の存在感と力量に任せ、その"場"のドラマを腰を据えて撮る。これまでのケレン味を切って捨て、1時間40分まで煮詰めた編集は素晴らしい。

  そしてラストに、思わぬ所で万感胸に迫り、涙が止まらなくなる。「こんな時代を生きよう」という決意をもとに、劇場を後にできる。

  いま、劇場で見てほしい。十年後、二十年後に、きっと生きる糧となる映画だ。

(追記:1999年ベルリン国際映画祭、国際批評家賞受賞)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.50,1998年12月15日号]

マイ・スウィート・シェフィールド(1998, 英)
★★

  イギリス映画界が、活況だそうだ。99年もミニ・シアターを中心に、公開待機作が目白押し。だが、現代物はどれも『トレインスポッティング』か『Go Now』に似た話ばかり、出てる役者もみな一緒。ちとウンザリである。

  イギリスの現代物は、ひとことで言えば、貧乏ったらしくて、汚らしいのである。「それが現実だ」と突っ込むほどのパワーも、「この現実を生きよう」という姿勢も感じられない(例外はマイク・リー監督作品だけ)。だから連発されると、飽きてくる。

  そこで『マイ・スウィート・シェフィールド』が、異彩を放つのだ。これは「薄汚れた、何の変哲もない現実を、どれだけキレイに見せるか」に賭けた映画だから。

  誰がピート・ポストルスウェイド率いる、中年失業者軍団が、鉄塔のペンキ塗りをする映画なんか見たいか? この設定で、男心のイタイとこ、突いてくる、ラヴ・ストーリーになると思うか?

  そうなるのである。

  曇りがちで雨の多いイギリスの単調な平野は、西部劇の荒野同様、夢の大地と変じ、鉄塔塗りはオリンピックの中距離走のごとき冒険になる。

  そこにオーストラリアからきた、ヒッチハイカーの若い女の子が加わるとき、大人になりきれない夢追い人、ピートとの間に恋が芽生える。この爺さん、ワイフがいるくせに、「あいつと結婚する」と指輪まで買っちまうのである。

  挙げ句の果てに、仕事仲間からのアッと驚く贈り物が登場し、この映画は、とても美しくなる。

  そしてラストで、脚本の仕掛けにうなる。これは男女を逆にした、「男のロマン」の話なのだ。

  意外にも、年末年始のデートに最適の一本である。

[集英社『週刊プレイボーイ』Nos.1/2,1999]

スモール・ソルジャーズ(1998,アメリカ)
★★★

  意外かもしれないが、近年のCGを駆使したSFX大作には、劇場よりビデオで見た方が面白い作品が多い。

  いまや『フェイス/オフ』のような作品は、小さなディスプレイ画面で編集してるから、大爆発などの見せ場はあっても、スクリーンで見るとダレる。テンポが早すぎ、物語は粗いし、小技のアクションがない。つまり大味なのだ。

  正月じゃ『アルマゲドン』がそのクチ。逆に今年の隠れた大傑作『ブレーキダウン』のように、地味目のアクションの方が、大スクリーンで見る喜びを満喫させてくれる。

  そこでこの正月は『スモール・ソルジャーズ』を大プッシュする。人工知能を持ったGIジョーもどきのオモチャの兵隊が、閑静な住宅地で大戦闘を繰り広げる。人間世界(マクロ)とオモチャの視線(ミクロ)対比させる面白さは、テレビ画面では半減以下。デジタル音響の効いた、劇場で楽しみたい。

  ドリーム・ワークス製作だし、設定だけ聞くとオコサマ向けのようだが、さにあらず。監督が『グレムリン』シリーズのジョー・ダンテ、脚本に『トイ・ストーリー』のメンバー、クリーチャーは『T2』のクリエイタの手になり、兵士の声がトミー・リー・ジョーンズ、とくればタダモノではない。

  善玉と悪玉が引っ繰り返る展開、一般家庭にあるものだけで、戦車にバズーカ、ヘリコプターまで作ってしまうアイデアに、1時間40分、驚きの連続。加えてダンテ監督らしいブラック・ユーモアが随所に効いてる。「上品な『ピンク・フラミンゴ』」と形容したい、毒のある笑いがウレシい。ハッピー・エンドも、一筋縄ではゆかないぞ。

  これぞ映画の醍醐味。『タイタニック』のビデオにカジリツイてる彼女の目を、これで覚ましてやれ!

[集英社『週刊プレイボーイ』Nos.51/52,1998年12月22日-29日合併号]

ラストゲーム(1998,アメリカ)
★★★

  アーロン・コープランドの壮大なオーケストラ曲をバックに、街の片隅で、立派なコートで、バスケのリングにシュートを狙う子供たち、背景には抜けるような青空…ワクワクするオープニングだ。

  『ラストゲーム』の主人公は、ジーザスという名の、ハイスクール・リーグのアフロ系スーパー・プレイヤー。特待生として奨学金を受け身内を養い、いいマンションで贅沢な暮らし。卒業が近づき、彼の許に大学、NBAと、次々と引きがくる。

  スポーツのスーパー・スターは、人種差別の陰が産み出す光でもある。サッカーの"フランス人"ジタンしかり。ゴルフ界に、タイガー・ウッズが登場するまで100年以上を要した米国とて例外ではない。

  身内、コーチ、恋人までが巨額の報酬に釣られて、ジーザスのエージェントを買って出る。スターを求める組織の手で、彼の周囲が崩れ始める。

  そこに登場、「バスケ版星一徹」、幼いジーザスにバスケをたたき込みながら、不運な事件で服役中の身の父(デンゼル・ワシントン)は、数年ぶりに再会する息子に何を求めるのか?

  映画は「裕福な」ジーザスの十代の揺れるためらいと、条件つきで釈放された「貧乏な」父の姿を、対比して描く。

  ここには「アフロ・アメリカンだけが被害者」という構図はない。黒人のヒモに痛めつけられる娼婦(ミラ・ジョヴォヴィチ)と父の交流など、人種問題をとらえる視点は広い。だからそれを突き破り、スポーツという「夢」が勝利するクライマックスに、胸が熱くなる。

  これがスパイク・リーの最新作だ。その成熟に驚きつつ、本物の手応えに感動するがよい。バスケ版『巨人の星』。燃えるぞ。

[集英社『週刊プレイボーイ』No.49,1998年12月8日号]

ルル・オン・ザ・ブリッジ(1998,米-仏)
★1/2

  怪我で演奏できなくなったサックス奏者、彼の引退後にファンになった若い娘。ふたりは大都会ニューヨークの片隅で恋に落ち、不思議な物体を発見し、騒ぎの渦中に…   『ルル・オン・ザ・ブリッジ』は、ハーヴェイ・カイテルとミラ・ソルヴィーノ共演の、し切ない恋物語だ。

 あらゆる種類の観客に勧められる。話といい、ディテールといい、映像といい、どんな好みにも応えるものがある。

  と同時に、これほど見る人の趣味や知識により、評価が分かれる作品も珍しいのではないか。サッと見れば『シティ・オブ・エンジェル』より上出来の、カワイイ映画だが、映画の知識がある人は「この思わせ振りと、臆面のないオチはなんだ!」と怒るかもしれない。あるいはウィレム・デフォーの謎のキャラクターの登場にニヤリとするか。

  それもこれも、この映画が、80年代後半の合衆国文学の代表作家、ポール・オースターが初めて単独でメガホンを取った、監督作品であることに起因する。

  『スモーク』『ブルー・イン・ザ・フェイス』の原作者、と言うだけでは、オースターを知ったことにはならない。『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』『ムーンパレス』という作品陣で、現代都会人の絶望をギリギリまで追い込んで書いた、ハードコアな作家だ。

  そんな彼が崖っぷちの90年代末に放った、哀しい夢物語には、過去の小説のイディオムがちりばめられている。それを楽しめるかは、観客がオースターの「何」が好きかによる。ここでも賛否両論か。

  とにかく一筋縄ではゆかぬ、素人監督の一発芸的問題作。ただ、エキセントリックな役の多かったミラが、普通の女のコを演じ、最高の魅力と実力を遺憾なく発揮していることだけは、保証する。

[集英社『週刊プレイボーイ』No.48,1998年12月1日号]

In & Out (1998,アメリカ)
★★★

  もしキミがゲイでもないのに、オスカー授賞式で全世界に向け「あいつはゲイだ」と名指しされたら? キミの細かいクセが、いちいち新宿二丁目の特別なサインと一致してたら?キミの大好きなアーティストのアルバムが、ゲイバーの定番だったら??

  こんな、なさそでありそな話で、アメリカの小さな町が、てんやわんやの大騒ぎ―『In & Out』は、正月にピッタシ、今年のアメリカン・コメディ屈指の絶品だ。

  被害者は結婚を目前に控えた、高校の名物の先生。まわりの見る目は一夜にしてギクシャク。全米からテレビ・クルーが押し寄せてきて、打つ手もなく逃げ回るばかり。

  演じるは『ワンダとダイヤと優しい奴ら』のケヴィン・クライン! 彼の本領はこの手のコメディで爆発する。「男らしさの自己啓発プログラム」なる、カセット・テープを聞きながら、踊りまくるシーンは場内大爆笑の渦。

  苦悩するフィアンセ役は、最近頭角を現しているコメディエンヌ、ジョーン・キューザック。結婚の為にテレビ番組の減量ダンスに励む姿は、ケナゲだけどおかしい。

  しかも、ケヴィンの母親役で、『雨に歌えば』のヒロイン、デビー・レイノルズが出てきて、映画ファンは涙。カワイイおばあちゃんだぞ。

  忘れちゃいけないのがオスカー授賞式の再現パロディ。ウーピーやグレン・クローズが特別出演で笑わせる。これだけでも一見の価値あり。

  ちょっとキワドイ題材を、ウェル・メイドのコメディに仕上げた監督は、「セサミ・ストリート」でお馴染みフランク・オズ。アメリカンなオチの付け方、「同じアホなら踊らにゃソンソン」的ラストまで、存分に楽しめる。

  見かけ倒しが多い今年の正月、娯楽の本命はこれだ!

[集英社『週刊プレイボーイ』No.46,1998年11月17日号]

ビッグ・リボウスキ(1998,アメリカ)
★★★

  待ちかねたぞ、『ビッグ・リボウスキ』! 『ファーゴ』のコーエン兄弟、最新作が正月映画として登場だ。

  この作品は彼らの集大成だ。『ブラッド・シンプル』のサスペンスに、『バートン・フィンク』の社会洞察、『未来は今』のハリボテ見せ物お遊び精神と、『ファーゴ』のおかしくて切ない、弱者への眼差しが一体となっている。

  リボウスキ役のジェフ・ブリッジズと相棒ジョン・グッドマンの「クドイ・太い・臭そう」三拍子揃った珍コンビが、人違いから妙な誘拐事件に巻き込まれる。ニワカ探偵になったふたりは、身代金持ち逃げを画策するが、肝心のカバンを積んだ車を盗まれるテイタラク。依頼人、犯人の両方から命を狙われ、ふたりの運命や如何に?

  仲間の溜り場、ボーリング場のユーモラスな描写が話題。スティーヴ・ブシェーミは今回も気の毒な役、ジョン・タートゥーロは変態ボウラーを嬉々として悪乗り、怪演し、らしさを見せる。

  また夢の中で繰り広げられる、バズビー・バークリーをパクッた驚異の「ボーリング・レヴュー」シーンは大爆笑と共に感嘆が洩れる。

  だがそこはコーエン兄弟、謎が解けるにつれて、妙な感覚に捉われる。実はこの映画、アメリカでは90年代にやってきた、バブル経済構造の本質と暗部を、2時間あまりのうちに、解き明かした、辛口の社会批判なのだ。

  「弱肉強食」の世界を描き、作り手の眼差しは、ひたすら社会の底辺に生きる人々にやさしい。ラストは『ファーゴ』より救いがないが、「それでも、生きていこう」という思いがさくさくと伝わってくる。

  やはり期待を裏切らない、面白うてやがて哀しき、コーエン・ワールドを堪能せよ。

[集英社『週刊プレイボーイ』No.45,1998年11月10日号]

ミスター・フリーダム(1969,フランス)
★★★

  "シブヤ系"などという軽佻浮薄なトレンドに、トドメを刺す映画がやってくる。

  『ミスター・フリーダム』。監督はファッション写真の大御所カメラマン、ウィリアム・クライン。セルジュ・ゲンズブールや、『去年マリエンバードで』のデルフィーヌ・セイリグが出演する、69年産スパイ映画パロディ、本邦初劇場公開だ。

  合衆国の自由と正義を守るため、アメフト・ウェアにスーパーマンのデザインをパロったようなコスチュームに身を固めた、諜報部員、ミスター・フリーダム。本国ではアフロ系を殺しまくり、中国・ソ連共産主義魔の手から救うべくフランスに乗り込む。

  在仏合衆国大使館は、内部がスーパーマーケットで、フリーダムは必殺グッズを手に、戦闘開始。彼のシンパは大統領選挙とスーパー・ボウルをまぜこぜにしたような大騒ぎで、フランスの歴史的遺産を、片っ端から破壊する。

  だがどうしたことか、『オースティン・パワーズ』のような愛敬が、この映画にはない。いかにも安っぽいパロディを楽しみながら、やがて笑いが引きつってくる。

  東西冷戦は終結し、現在合衆国が「世界の正義」を標榜し、意味なく空爆をしたがっている。(セルビアは大丈夫だろうか…)共産主義という幻影が死んだいまだからこそ、クラインの発信する、「アメリカ経済帝国主義」の愚かしさと危険さが、ヴィヴィッドに伝わってくる。その幼稚さ、安直さ、傲慢さ。そんな国が世界を操っている恐怖。ラストの大爆発に至って、キミの表情は凍り付くだろう。

  世界恐慌前夜の様相を呈する98年末、パリのアメリカ人、クラインの作品を直視せよ。現在進行形の日本経済帝国主義崩壊を覚悟するために…

[集英社『週刊プレイボーイ』No.44,1998年11月3日号]

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