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ただいま
ヤンヤン 夏の想い出(エドワード・ヤン監督インタヴュー)
恋の骨折り損
パン・タデウシュ物語
春香伝
キャラバン(エリック・ヴァリ監督インタヴュー)
シチリア!
十五才 学校IV
グリーン・デスティニー
愛のコリーダ2000
今回劇映画『ただいま』で監督が示すのは、親族殺、女子刑務所の実態という題材の衝撃性を越えて、いつの時代にも人間に共通する、あたたかい心である。
だが日本同様、中国でも「当たり前で大切なこと」を表現するのが難しい時代なのか、それとも監督の個性か、全編のスタイルは、かつて日本人が中国を映画後進国とみなしていた頃の、音楽やズーミングの濫用とは無縁の、静謐な世界が醸し出されている。その静けさゆえに、作品のテーマがストレートに伝わってくる。
特筆すべきは俳優たちの演技力であろう。主人公タウ・ランが義理の姉を過失で殺してしまうまでを、時間をかけて丁寧に描き、80年代中国の貧しい日常をしっかりと印象づける。そのなかで共に子連れ再婚である両親が、義理の姉妹をどう思いやっているか、台詞まわしや細かい所作を通じてさりげなく、しかし過不足なく伝わってくる。とりわけ父親役の梁松(リアン・ソン)のデリケートで懐の深い芝居が感銘深い。
タウ・ランが仮出所して家に辿り着くまでの後半は、監督の都市論的視点が興味深い。ひとつの街が再開発のために廃墟と化している。17年の刑務所生活を経て戻ったタウ・ランは、街の変化の過程を知らない。路地すらも瓦礫の下に埋め尽くしてしまった土地は、彼女に「お前の帰る場所など、この地上からはなくなったのだ」と言っているようだ。全編の白眉といえるだろう。
「ただいま」と言って戻れる土地を喪失した彼女は、ラストで「故郷とは人である」という素朴なテーゼに救われる。和解のシーンを前に、なぜか他人事に思えぬものを感じ、胸が熱くなった。
(12月30日より東京・テアトル池袋にてロードショー)
[『キネマ旬報』No.1322,2001年1月上旬号]
ヤンヤン 夏の想い出(2000,台湾−日本)
★★★★1/2
(監督エドワード・ヤン、インタヴュー)
『クーリンチェ少年殺人事件』で熱狂的崇拝者を得た台湾のエドワード・ヤン監督。最新作『ヤンヤン 夏の思い出』でカンヌ映画祭最優秀監督賞を獲得し、ようやく世界の巨匠として遅すぎる春を迎えた。
「ハリウッドや台湾、香港の映画界は、最近過去に捕らわれすぎている。失敗を恐れて、続編やリメイクをはじめ、似たような企画ばかり。このままでは映画界の未来はない」
苦悩するヤン監督に手を差し伸べた製作者はなんと日本人。『Love Letter』や『リング』シリーズの河合真也氏だった。
「最初会ったときから河合さんとは話が弾んだ。とても繊細、かつ冒険心のある人だよ」 こうして『ヤンヤン 夏の思い出』は日本・台湾の合作として完成した。現代台北の一家族の喜怒哀楽を十全に描く、三時間弱の大作だ。
「十年以上前からあたためていた企画だが、今まで寝かせて置いてよかった。あの頃はこの題材に取り組むには若すぎた。よく誤解されるんだが、ぼくはもう50才を超えてるんだよ(笑)」
その言葉どおり、父と昔の恋人の再会、長女の複雑な初恋、昏睡状態のまま寝たきりになった祖母との関係など、あらゆる世代の物語が、さながら"見る小説"の趣で、悠揚迫らぬタッチで展開される。
「その賛辞はうれしいな。子供の頃から漫画を描くのが好きで、どうやって言葉に頼らず、物語や心理を表現するかを、最大の課題にしてきたんだ。台詞に頼らず表現したほうが、より力強く、ダイレクトに伝わるからね」
だが気取りや奇を衒ったところのない表現は、ヤン監督の成熟を証明している。
「そう。技術を目立たせたくはなかったんだ。友人に手紙を書くような気持ちで脚本を完成させた。監督の狙いを読むのではなく、観客にもこの家族を友人のように感じてもらいたい」
テーマはずばり「人生は生きる価値がある」である。
「人間、過去を取り戻すことはできない。同じ時間は二度と戻ってこない。だからこそ毎日が新しい、かけがえのない日なんだ。可能性を信じ、創造性を発揮して生きてゆくことだ」
今年のベスト・ワンのみならず、映画史に大きな一ページを残す名作。キミの人生にも大切な思い出となるに違いない。
(12月16日より東京・渋谷シネパレスにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.48,2000年11月28日号を一部改稿]
恋の骨折り損(1999,英−米)
★★1/2
ミュージカル演劇の本場は、80年代半ばにブロドーウェイから、ロンドンのウェスト・エンドに移った。『レ・ミゼラブル』などの新作、『雨に歌えば』をはじめとする名作映画の舞台化、『シカゴ』など古典の新演出、どれも大半はウェスト・エンド発。「ミュージカルが見たけりゃロンドンに行け」とは、ファンの常識。その割に映画ではイギリス発のミュージカルにはお目にかからない。
それが意外なところから登場した。シェイクスピアを第二次大戦直前のヨーロッパに移し替え、ミュージカル全盛期ハリウッド風に仕立て上げる。だれでも思い付きそうでだれもやっていなかったアイデアに身を乗り出した。
ただ監督・主演が目立ちたがり屋ケネス・ブラナー。共演がアリシア・シルヴァーストーンにナターシャ・マッケルホーンと、どう考えてもミュージカル向きでない布陣。期待半分不安半分で見にいったら、なんと大当たり。シェイクスピアと30年代ミュージカルへの愛情が満載。贅沢な「新春オールスターかくし芸大会」の趣の楽しい映画だ。
出演者たちのダンスや歌はお世辞にも巧いとは言えないが、「オレたちはこれが好きなんだ!」という思い入れでカバー。小賢く細工をせず、正面攻撃に徹した作りが、逆に時代を越えたカッコよさを発揮する。
いつの時代にも女が白馬の王子さまに憧れるように、男がタキシードを着こなして、スマートにダンスを踊るのはオシャレである。こんなダンディズムの魅力を再認識させてくれるあたり、さすがフォーマルの本場イギリスと納得。
そして全編を彩るガーシュインなどジャズの巨人たちが手がけた、綺羅星のごときスタンダード・ナンバー。半数以上は、題名を知らなくても、一度は耳にしたことのあるはずの歌ばかり。これがシェイクスピアの恋愛喜劇にズバリ、ハマッた。演出家ブラナーのセンスに脱帽である。
16世紀と20世紀が生んだ、偉大な古典たちを射抜き現代に再生した快作。正月のデート・ムーヴィーに最適の、華やかな西洋製オセチ料理を、存分にご堪能あれ!
(12月16日より2001年1月26日まで東京・渋谷シネパレスにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』Nos.3-4,2001年1月16-23日号]
パン・タデウシュ物語(1999, ポーランド−フランス)
★★★
ポーランドを代表する巨匠アンジェイ・ワイダが世紀末に放つ『パン・タデウシュ物語』の登場である。
同国の国民文学的叙事詩を原作に、ポーランドのオールスター(と言われても日本人には分からないが)が豪華共演。日本で言うと「忠臣蔵」的ノリで(?)チャンバラあり、リーダーたちの権謀術数ありの、豪華娯楽時代劇に仕上がっている。
なにしろ監督のワイダは、"ポーランドの京都"クラコフに日本美術館を設立したほどの日本贔屓。若き日の代表作『灰とダイヤモンド』では黒澤明の『酔いどれ天使』のラストをパクり、最近では坂東玉三郎主演でドストエフスキイの映画化『ナスターシャ』をやったりと、傾倒ぶりは並々ならぬものがある。
予想どおり、今回もポーランド時代劇を手懸ける上で、ワイダは黒澤と歌舞伎の影響をストレートに見せている。
もはやベテランの域に達した『愛と哀しみのボレロ』の、ダニエル・オリブリフスキが頭をツルツルに剃り、顔面に傷を付けて登場。「どっかで見たことある……」と思ったら、『七人の侍』で志村喬が演じた、室戸半兵衛そっくり! 次々と登場する濃いキャラクターが、声を荒げて、間を取ってから、ガッと大きなポーズを見せる。これは歌舞伎でいう「見栄を切る」という芝居(所作)の一種。こんな仕掛けが随所にある。
もちろん、昔からいろんなテーマとスタイルを操るワイダは、日本だけでなく、最近のイギリスの宮廷物の雰囲気も取り入れている。政治的駆引の場面では『エリザベス』のような緊張感を漲らせる。
それでいて全編は明るい映像で「母国ポーランドの美と愛国心」というテーマがカチッとでてくるあたりは、さすがの巨匠業。「おそれいりました」と頭が下がる。
しかもこれだけ詰め込んで、上映時間は2時間8分! 最近意味なく長い映画が多いとお嘆きのキミに、安心して薦められる。20世紀最後の一本、21世紀最初の一本、どちらに選んでも後悔しない、満足度保証の傑作である。これに比べて日本の時代劇は寂しいかぎりだ。
(12月16日より東京・岩波ホールにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』Nos.52-53,2000年12月26日号]
春香伝(1998,韓国)
★★1/2
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(12月16日より東京・銀座・シネ・ラ・セットにてロードショー)
キャラバン(1999,フランス他)
★
(監督エリック・ヴァリ、インタヴュー)
25年間ヒマラヤを追い続けている、フランスの写真家エリック・ヴァリ。
「まず山脈の魅力に惹き付けられ、それからヒマラヤ地域に点在する、多様な文化に夢中になってしまった」
『セブン・イヤーズ・イン・チベット』でユニット・ディレクターをつとめた後、今回自ら、劇映画『キャラバン』を監督した。舞台はネパールの標高4000メートルを越える地域。仏教と占いが混合した信仰を持つ人々が、穀物を得るために、ヤクと共にキャラバン隊を組み、ヒマラヤを越える旅に出る。
「冬は山が雪で閉ざされてしまうので、村の男たちは晩秋に、一月近くかけて山を越え、低地で春の到来を待つんだ」
物語は占いに逆らい早く出発しようとする若者カルマと、信仰を重んじる長老ティンレの対立を軸に展開する。
「映画の台詞にもあるが、彼らのモットーは『ふたつの道がある時には、より困難な道を選べ』。信仰の伝統と人間の意志が混合し、より開かれた精神へと至る。それは文明社会が失った勇敢さと尊厳、寛容の精神に満ちている」
断崖絶壁に自分たちの手で、文字通り道を作って進み、猛吹雪に遭遇する困難な旅路は、息を呑む映像の連続だ。
「動物が死ぬショット以外、特撮は一切使っていない。出演者もひとりを除き全員が、現地で山岳民族として暮らしている素人。スタント・マンも使わずに撮影した。危険を伴うシーンが多かったので、綿密に絵コンテを描いて撮影に臨んだが、吹雪の場面だけで三週間を費やした」
しかも、高地ロケのため、撮ったフィルムがきちんと映っているか確認もできないまま、撮影を終了せざるを得なかったという。
「しかし『大人は判ってくれない』のベテラン編集者と組んで、人物の演技を中心に全編を構成していったらうまくいった。決して特殊な技術を使ったわけではないよ」
その成果は今年のアカデミー最優秀外国語映画賞ノミネートをはじめ、全世界で絶賛を浴びている。
「ブラピのようなスターは出ていないけれど、アジア版ウェスタンとしても楽しめるし、少年や若者の成長物語としても満足してもらえると思う」
ヒマラヤに取りつかれた男の執念が生んだ話題作である。
(11月25日より東京・渋谷・シネマライズにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.47,2000年11月21日号を一部改稿]
シチリア!(1999,独-伊)
★★★★★
ソ連崩壊以降、90年代は左翼に代表される社会変革の動きが、新たな方法を見つけられず、無力に転じていった10年でもあった。
不況はますます深刻・長期化し、貧富の差は広がる一方なのに、そんな現実と真正面から取り組む「社会派映画」は、最近すっかり姿を潜めてしまった。
そんな社会の閉塞感を打ち破ると共に、映画としても美しく感銘深い作品が『シチリア!』だ。99年に社会派の急先鋒、ジャン-マリー・ストローブとダニエル・ユイレが共同監督し、米国を含む全世界で賞賛を浴びた。
ファシズム政権下のイタリアで書かれ発禁処分となったヴィットリーニの小説の映画化。優しさと鋭さを併せ持つ白黒映像、音楽のように響くイタリア語の台詞、そして時折流れる民謡のような歌の温かさが一体となって、心と頭に響いてくる。
都会から数十年ぶりで、貧しい故郷シチリアに帰る男の旅を、全編淡々としたテンポで非常に分かりやすく描き、随所に笑えるユーモアまでたたえている。
この作品はいわば、20世紀という時代が経てきた旅路の終着駅である。30年代の物語が、何の違和感もなく現代の話に見えるのに驚かされる。
世の中はなにも変わっていないのだ。メディアがギャアギャアと新時代の到来を叫ぶかたわら、時が止まったように、何十年と同じ貧しい生活をしている人々がいる。希望を失いかけている世界のあらゆるところに、平等に朝は訪れ、太陽は輝く。
多くの知識人が「時代の混迷」を、訳が分からないままに騒ぎ立てているのと正反対に、この作品は映画というメディアでしか表現できない方法で、「このままで良いワケがない。よりよい世界を求めて戦い続ける価値がある」と、穏やかに、しかし力強く訴えかける。
癒し系、ほのぼの系といった、その場しのぎの慰めではなく、本物の勇気を与えてくれる、必見の名作。21世紀を生きる指針がここにある。ダマされたと思って劇場に走るべし。
(12月9日より16日まで、アテネフランセ文化センターにて上映)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.50,2000年12月12日号]
十五才 学校IV(2000,日本)
★★1/2
『男はつらいよ』シリーズ終了から5年が経つが、17年にわたり48作品を輩出したこのシリーズが、映画史上空前のロード・ムービー傑作の森であることは、ファン以外から指摘されることが少ない。
その生みの親、山田洋次監督も69才。最新作『十五才 学校IV』は、登校拒否児が家出、旅先で人情に触れる話。そんな解説に、ジジイの勘違い説教映画を予想していたら、まるで正反対。とても老齢の監督と思えない、瑞々しく若々しい、ロード・ムーヴィーの傑作だった。個人的には興奮のあまり、一月半かけて『男はつらいよ』シリーズを全作品、ビデオで見直してしまったほどである。
まず、ごく平凡な15才の少年が、ふらっと旅に出てゆく身軽さがいい。若手の自意識過剰監督にありがちな「オレは世の中に理解されてない!」的ウザッタサは皆無。「行きたいんだからいいじゃん?」式の乾いた演出は、疑いなく正しい。
少年が旅先で出会う、赤井英和、麻美れい等の曲者俳優が好演。一人旅の少年を気遣いつつも「どうせ言っても聞くはずないんだから、好きにさせてやろう」といった感じで、必要以上に少年に干渉しない。少年がどんなに無謀な、命に危険のあるような行動に出ても、本人の意志を尊重して突き放す。これこそ現代では、本当のやさしさなのだ。
そんな小さな冒険の積み重ねを「旅」と呼ぶ。焦っても仕方がない。自分で知るしか道はない。「人生は旅である」という、使い古された名言が、軽やかに心に迫ってくる。
後半で特に印象深いのは、"バイカルの鉄"に扮する、丹波哲郎の名演(「怪演」ではない!)。かつて『切腹』など小林正樹監督の名作で見せた力量を、久々にスクリーンで披露する。彼が助演男優賞を逸するとしたら、日本の映画関係者の目は節穴である。
強引に『学校』シリーズとして帳尻合わせをする、冒頭とラストに難はあるが、それを理由に見逃すのはもったいない。巨匠の重苦しさをかなぐり捨て、69才で新生した山田監督の、新たな伝説がここに始まった。
(11月11日より丸の内プラゼールほか全国松竹系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.48,2000年11月28日号]
グリーン・デスティニー(2000,中−米)
★★★★
これまで自粛して黙っていたが、本音を告白すると、ここ15年ほど映画産業は、物語にアクション、その他あらゆる面で、日本製のRPGを越えられずにいたと思う。近年の映画で『ドラクエ』シリーズに並ぶほど面白いものは、見当たらなかった。
だから2000年の大詰に、現れた冒険活劇『グリーン・デスティニー』を、この欄で紹介できるのは、映画関係者として最大の喜びにして誇りである。これこそ『ドラクエ』に負けない、血沸き肉躍る真の娯楽大作だ。
最強にして、持つものに厄災をもたらす伝説の剣、グリーン・デスティニーをめぐり、剣術の達人と彼に人知れず思いを寄せる女剣士、謎の美少女と若き盗賊が、中国大陸狭しと争奪戦を繰り広げる。
まさにRPG的な物語だが、本物の人間が汗を散らしてが魅せるバトルは、オリンピック競技を彷彿とさせる興奮を巻き起こす。チョウ・ユンファとミシェル・ヨーが円熟の芸風で、スターの余裕たっぷりのアクションを見せる。
そんなふたりに牙を剥き、刀を振り回して立ち向かってゆく美少女。演ずるはこれが映画デビュー第二作となるチャン・ツィーイー。ビビアン・スーを美形にしたようなルックスは日本人受け間違いなしの可愛さ。ナウシカ顔負けの孤軍奮闘ぶりには、美少女アニメやゲームマニアのキミも、現実の女への欲望を呼び覚まされるに違いない。
香港・中国のカンフーとチャンバラがハリウッド最新のSFXと手を組んだアクションに、「こんな迫力見たことない!」と絶叫することだろう。古い伝統が新しい技術と渾然としてに輪廻転生を遂げた姿に、随喜の涙が流れる。
暗い画面を極力避け、森羅万象の美しさを十全に捉えた映像も圧巻。風になびく竹林の上を、静かに剣士たちが飛んでゆく場面は、映画史に銘記されることだろう。
RPGと古典文学を一度に体験するような白熱と陶酔の世界は、『スターウォーズ』や宮崎アニメをしのぐ、21世紀、最初の伝説だ。「『グリーン・デスティニー』を初公開時に劇場で見たぞ」と、40年後まで必ずや自慢できる。この歴史的機会を逃すな。
(11月3日より渋谷東急ほか全国松竹・東急洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.44,2000年10月31日号]
愛のコリーダ 2000(1974,フランス)
★★★★
昭和初期に不倫カップルの女が相手の男の性器をチョン切って殺した……この事件は犯人阿部定の名と共に、日本の猟奇史に名を残している。
26年前、ピンク映画の鬼才若松孝二がフランスの名プロデューサーと組み、大島渚監督のもと「阿部定事件」を映画化したハード・コア(本番SEXを本当に撮った)・ポルノ、『愛のコリーダ』。日本には26年前「外国映画」として逆輸入公開され、大スキャンダルを巻き起こした。
日本が本格的戦争へとなだれこんでゆく時代、社会から切り離された一室に閉じこもり、吉藏(藤竜也)と定(松田瑛子)が、食事もせずにひたすらヤリまくる。
上映時間二時間弱のの半分以上が、全裸の男女のSEXを中心とした一対一のカラミ。アダルト・ビデオも裸足で逃げ出すSEX描写の連続だ。こんな映画は、その後も作られていないのではないか。ヨーロッパでは後に悪影響を受けたバカ監督が、『ベティ・ブルー』(●)『奇跡の海』(●●)など、出来の悪い猟奇的恋愛映画を生み出すきっかけとなった、罪な作品でもある。
要するに男の究極の欲望、「年中ヤリまくり」が実現する夢の世界なのだが、SEXに次ぐSEXの連続の果てに、立たなくなってまでSEXをしようとする、吉藏の身勝手な絶望が見えてくる。
男にとってSEXの快楽は究極の現実逃避。吉藏が定にハマるのは、なんにも考えたくないからなのだ。スケベに徹することで吉藏はバカになろうとしている。その表情を通じて、戦争直前の昭和の日本を覆っていた暗さと無力感が浮かび上がる。2000年のいまにも通じる呻き声が「こんな世の中イヤだ、ぜえんぶ投げ出しちまいたいっ!!」と響いてくるようだ。
こんな無責任な男をなぜ女は受け入れるのか? この映画の定は、SEXを武器に男を完全に支配しようとする、ヤバイ女なのだ。カワイイ女が自己中心主義の塊に変化してゆく瞬間には、背筋も凍る恐怖を覚える。
愛の仮面をかぶったエゴイズムとSEXの関係を描いた不滅の傑作。この映画を見て泣く女とは絶対寝ないように。
(12月2日より東京・渋谷シネアミューズにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.40,2000年10月2日号]
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