Office NESHA presents movie guide
Mar./ Apr. 2000

目次
(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
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ストップ・メイキング・センス
追悼・宮川一夫 光と影による映画史『雨月物語』ほか)
サマー・オブ・サム
ヴァージン・スーサイド
セイヴィア
息づかい
フェリシアの旅
ブック・オブ・ライフ
トイ・ストーリー2
ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ



ストップ・メイキング・センス(1984,アメリカ)
★★★★1/2

  それはMTV革命前夜の伝説である。カルト・ムービーを超えた存在となったロック・ライヴ・フィルム、『ストップ・メイキング・センス』が、16年の眠りから覚め、日本に再上陸する。

  トーキング・ヘッズというば、当時一部マニアの注目を受けていただけのバンド。だがこの作品は、映画そのものがロックになった、数少ない名作として、空前の面白さとカッコよさを誇っている。

  巻頭、シンプルなコスチュームで、アコースティック・ギターとラジカセを引っ提げて、リード・ヴォーカルのデヴィッド・バーンがひとり、セットもないガランとした舞台に立つ。いまどきのヴィジュアル系バンドの仰々しさとは対極だが、逆に「なにかが起こりそうだ」という期待感を駆り立てる。

  曲が進むごとに、メンバーが少しずつステージに登場。プレイヤーたち至福の表情を写す映像と、ヤワでない楽曲が徐々に熱を帯びてくる。

  MC一切なし、ラスト2曲まで客席を見せないなど、ライヴ・フィルムの定石をことごとく禁じ手とし、7台のカメラが「ロック・スピリッツが火を噴く瞬間」を、予兆から歓喜のるつぼに到るまで、スリリングに捉えている。

  トーキング・ヘッズの名も曲も知らなくてもOK。ビデオ・クリップでは決して味わえない、ロック魂と映画魂がスパークする熱さに触れよ。キミも「伝説」の生き証人となるのだ!

(4月29日よりシネクイントにてレイト・ショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.21,2000年5月24日号]


追悼・宮川一夫 光と影による映画史

  映画の「巨匠」というと監督ばかりが取りざたされるが、ハリウッドを中心に、監督はカメラを覗かないことが大半。現場のカメラマン複数を仕切るトップは撮影監督。この撮影監督がいないと、映画は撮れないのだ。

 このGWから始まる「追悼宮川一夫 光と影による映画史」は、昨年91歳で逝去した、戦後日本映画の「巨匠」撮影監督のひとり、宮川一夫にスポットを当て、代表作を一挙上映する、画期的試みだ。

 カメラ・マニア必見なのはもちろん、普通の映画ファンには、黒澤・溝口という名監督の作品からB級アクションまで、戦中戦後日本映画の名作が、ノン・ジャンル、オイシイとこどでにまとめて見られるチャンスである。

 総勢63本の上映作品で「まずはこれ!」とお薦めなのは『無法松の一生』(43)(★★★★)。田村正和のお父さん、バンツマこと阪東妻三郎が、夫を失った子連れ女性のために生きる人力車夫を演じた純愛物語。クライマックス、バンツマが祭太鼓を叩きまくるシーンは、ロック・ライヴも裸足で逃げ出すビートとリズムで、世界中の観客の度胆を抜いた。

 黒澤・小津の陰で最近注目度が落ちている、日本最大の巨匠、溝口健二、晩年の代表作も必見。"映画史上のベストテン"の常連『雨月物語』(★★★★★)の夢幻美は、幽霊映画の枠を越えた芸術品。『山椒太夫』(★★★★★)は鴎外の原作を遥かにしのぐラストが待つ名作。ゴダールがこの映画の移動撮影を『気狂いピエロ』でパクったのは有名だ。近松の浄瑠璃・歌舞伎の世界を「ロミオとジュリエット」にしてしまった『近松物語』(★★★★1/2)もすごい。

 宮川は市川崑の『おとうと』(★★★★)で独自の現像手法「銀残し」を開発、映画の色彩に世界的革命を起こした。実験精神と名作文学が火花を散らす。スポーツ・ドキュメンタリーの金字塔『東京オリンピック』(★★★★★)も見逃せない。

 他にもチャンバラ映画の神様、マキノ雅弘の名作や黒澤明の『用心棒』(★★★★1/2)、勝新太郎の「座頭市」「悪名」シリーズと娯楽映画も目白押し。

 これぞ日本映画の黄金風呂。「映画が強かった時代」のパワーを全身に浴びよう!

(4月22日より6月2日まで、東京・千石 三百人劇場にて開催)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.18,2000年5月2日号]


サマー・オブ・サム(1999,アメリカ)
★★★

  M氏事件からはや11年。あの残虐な幼女連続誘拐殺人がかすみそうなほど、現代ニッポン、時代は「猟奇」。一方の合衆国ではトレンドは銃の乱射。どちらも物騒だ。

  ではアメリカで酒鬼薔薇みたいな事件が起こったらどんな反応があるんだろう? その答は『サマー・オブ・サム』にある。

  75年頃、ニューヨークを中心に、ブルネットの白人女性ばかりを無差別に射殺したシリアル・キラー"サムの息子"。警察に奇怪な挑戦状を突き付け、逮捕に一年以上を要した、現実の事件の映画化だ。

  冒頭で犯人をすぐ割ってしまう語り口にまず驚く。ノイローゼ気味の男が、隣の猟犬に「殺せ!」と命じられるあたり(犬の声はなんとジョン・タートゥーロ!)、笑ってしまうのだが、それで殺される方はいい迷惑だろう。

  だがこの作品の狙いは、犯人を描くことにはない。うだるように暑いニューヨークの夏、連続殺人犯に怯えイライラする住民たちの、不気味な人間模様が浮き出される。

  物語はリトル・イタリアを舞台に、優柔不断で女グセの悪いジョン・レグザイモと、しっかり物ミラ・ソルヴィーノのカップルを中心に展開。ある男が仲間の手で、マフィアまで巻き込み「サムの息子」に仕立て上げられてゆく。まわりの声で親友を疑いだすダメ男、それを見限る女。対照的な反応をジョンとミラが好演。

 「銃が野放し」のアメリカでは、住民が勝手に「自警」の名目で無実の人を襲撃、それを悪いとも思わない。

  いじめ、人種差別、ユダヤ人虐殺、どれももとはフツーの人の臆病とイライラから…良く考えるとこわあい話に、当節流行の70年代後半のカルチャーをふんだんにちりばめ、2時間20分を超える長尺が、ヒップでホップ、ファンキーに展開、あっという間に終わってしまう。

  何せ監督はスパイク・リー。持ち前のノリノリのリズムは健在。加えて今回は、土手っ腹に重いボディ・ブロウを食らわせる。トンガリ小僧がひとまわり大きくなって帰ってきた。『マルコムX』の借りを返す、パワフルな傑作だ。

(4月15日より、シネマスクエアとうきゅうにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.16,2000年4月16日号]


ヴァージン・スーサイド(1999,アメリカ)
★1/2

  若い子が自殺する話はどうも好きになれない。世の中生きてなんぼだと思ってる人間としては、「甘ったれんのもたいがいにせいっ!」と呆れることが多い。

  だがティーン・エイジは感受性がもっとも豊かで、不安定な年令。若さゆえの哀しい死というのもある。

 『ヴァージン・スーサイド』は、13歳から17歳までの五人姉妹が主演の、美少女てんこ盛り映画。「未来のスターは誰だ?」とツバつけようと、スケベ心マンマンでスクリーンに向かうと、巻頭いきなり、13歳の末娘が飛び降り自殺してしまい唖然とする。

  自殺の理由はまったく説明されない。しかしアメリカの田舎街で、カタブツ数学教師(ジェームズ・ウッズが真面目にやってる分だけコワイ)の模範的に「幸せな」家庭に育ち、小さな心が見て悟ってしまった絶望に漠然と共感できたら、この映画にハマる。

  しかもこのバカ親父、「外界の悪影響から娘を守る」と『コレクター』よろしく、残った四人を自宅に監禁してしまうから、絶望を通り越してアブナイ。そんな中深夜に、幽閉された姉妹たちと、彼女たちに恋する少年が、ランプの点滅やレコードの歌詞で"会話"する場面には、静かな感動を覚える。

  四人姉妹の描き分けが弱いなど欠点も多く、万人向きの映画とはいえない。ただわけもなく「死にたい」と思うことがあるキミには、意外なヒーリング・ムーヴィーになるだろう。

(4月22日より、シネマライズにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.17,2000年4月22日号]


セイヴィア(1997,アメリカ)
★★★

  看板に偽りあり。「オリヴァー・ストーン最新作」と打たれている『セイヴィア』は、彼の監督作にあらず。共同製作者に名を列ねているだけなので、安心して見に行ってほしい。

  監督はセルビア系のピーター・アントニエビッチ。ボスニア紛争を題材にした映画、数あるなかで、初めて人間の普遍的な問題に到達した作品である。

  デニス・クエイド扮するアメリカ人ギイが、イスラム原理主義過激派テロで妻子を失い、ボスニアでムスリム人を狙撃する傭兵となる。政治家や資本家以外の普通の人にとって、戦争とは「仇討ち」の延長線上、愛が殺戮を生むというパラドックスがぐさりと打ち込まれる。

  さらに監督は、戦場の人々が「非国民」の同胞に向ける不寛容に踏み込んでゆく。同じセルビア人でありながら、ムスリムにレイプされた女性ヴェラが、義勇兵に殺されそうになり、実の父からも「自決しろ」と迫られる。

  これは二重の殺人だ。中絶の是非はおくとして、臨月近くまで捕虜として敵方に留め置かれ、解放されたヴェラに味方はいない。

  生命を守るために自分の生命を犠牲にすることに疑問を抱かない戦場では、味方を、家族すら殺すことも「正義」になる。真の狂気は、この自我と他者の混同なのだ。

  そして産まれる子どもは、両方の民族から「恥」「敵」として蔑まれる。

 「親にとって子は宝」という常識が、ここで覆る。昨今日本でも騒がれている「子ども殺し」の犯罪は、ボスニアの戦場と紙一重ではないか。

  ここでギイは、正気に戻る。自分の赤ん坊を可愛いと思えないヴェラと戦場を渡り、ふたりを救おうとする。

  かけがえのない命。使い古された言葉が心に浮かんでくる。前半の戦場描写で、家族・血縁幻想を打ち破ったからこそ、苛酷な世界のなか、子どもを生み、育てることの意義がひしひしと伝わってくる。

  この傑作がNATO軍のユーゴ空爆前の一九九七年に、アメリカ資本、ユーゴ・ロケを敢行して作られたとは、なんという皮肉だろう。

(4月8日より、上野スタームービーにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.14,2000年4月2日号]


息づかい(1999,韓国-日本)
★★1/2

 「男と同じ屋根の下に住むと思うとゾッとした」「街で男にベタついている女を見ると、どうかしてるんじゃないかと思った」……

  衝撃的な言葉が、次々と画面から飛び出してくる。70歳を過ぎた人々が語る。

  同性愛者の発言ではない。太平洋戦争中、日本軍に強制連行され、従軍慰安婦にされた老婆たちの言葉だ。

  記録映画『息づかい』。『ナヌムの家』二部作の監督、ビョン・ヨンジェは、今回韓国各地をハルモニたちと飛び回り、女であることの無念と怒りを、より大きく定着させることに成功した。

  今回は一切ナレーションを排し、元慰安婦たち同志の対話や家族との関係を、丹念に、誠実に追ってゆく。

  彼女たちがなぜ、老齢になるまで日本政府に訴訟を起こせなかったのか? という素朴な疑問への答が分かる。

  日本軍撤収後、「民族の恥」と糾弾され、韓国社会そのものが、彼女たちの存在を「なかったこと」にしようとしたのだ。親兄弟や子どもを「民族の恥」に巻き込むまいと、彼女たちは苦悩のうちに沈黙を守った。そして「何も失うものはない」という年令になって、初めて声を上げることができたのだ。

  ビョン監督は慰安婦問題を、現代の性犯罪をめぐる環境まで普遍化している。あらゆる意味で、これは他人事ではないのだ。

  レイプもののAVを平気で見ているキミは、この映画を見る義務がある。

(4月1日より28日まで、BOX東中野にてロードショー)
(同時上映『ナヌムの家』、『ナヌムの家II』)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.12,2000年3月23日号]


フェリシアの旅(1999,カナダ-イギリス)
★★★1/2

  例の「少女監禁事件」以降、ビデオ屋にテレンス・スタンプ主演の古典『コレクター』を借りに走ったキミ、『仕立て屋の恋』がわが心の一本であるキミ、『フェリシアの旅』は必見である。

  この手の「孤独な男の美しい女性への憧れ」は、相手の女性の心理を、恐怖や悲劇的運命の虜としてしか描かないのが欠点。

  だがこの映画では、複数の憧れが交錯する。ボズ・ホスキンス演ずる孤独な料理長は、時代からとり残され、自分のやさしさのはけ口を求め、女性を求める。

  自分のやさしさを向ける対象を求める、純粋でまっとうな感情が、まったく逆の結果に行きつくのだ。「やさしさ」の危険性をこれだけ的確に突いた作品は稀である。

  しかも緻密に計算された美しい映像・音響世界が、見るものに陶酔を許さない。この映画を見て、「彼の真似をしたい…」と思うヤツは、まず出ないだろう。

  そして被害に遭う女性。美しくて若い女性というのは、それだけでチヤホヤされるから、賢くなれない。だから騙されて、「やさしさ」の化物に引っ掛かる。

  だが男に「もの」扱いされる女性も、憧れを心に抱いている。恋人、未来…騙され続けながら、人間関係や社会とは別の、「心のふるさと」を追い求める憧れが。

  この映画が傑出しているのは、男の「やさしさ」の檻を突き破るように、女の「憧れ」が展開されてゆくところにある。ラストの解決は絶望的だが、エピローグに落ちる一条の光が、見るもののカタルシスを呼ぶ。

  フィクションだからこそ、ドキュメンタリーやニュースが踏み込めない現実があぶりだされる。視聴率狙いのテレビの煽情性と対極の、透徹した視点に貫かれている。

  カナダの鬼才、アトム・エゴイヤンが『スイート・ヒヤアフター』の失敗を経て辿り着いた、アクチュアルでサスペンスフル、そして深遠な世界。彼はいま、最も注目すべき監督の一人だ。

  いま「男であること」は、この映画のラストから始まらなければならない。

(3月18日より、シネマライズにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.12,2000年3月23日号]


ブック・オブ・ライフ(1999,仏-米)
★★

  ミレニアム騒ぎが相変わらず続いている。来年は21世紀だと騒ぐのだろう。   でも西暦2000年とは「ナザレのイエス生誕2000年記念」のこと。キリスト教徒でない人間には、どうでもいい話のはずだが…

  逆に西洋の教徒の皆さんは、ノストラダムスの大予言より、「最後の審判が下りそうな年」として、マジで怖がっていたようである。

  ハル・ハートリーの『ブック・オブ・ライフ』は、2000年の大晦日に、イエスが最後の審判のために地上に降臨、サタン、そして神と戦う物語である。

  SFめいた物語に投入されたキー・ワードは"デジタル"。イエスはヤッピーっぽいスーツに身を包み、「封印の書」をマックのパワー・ブックのデータに携え登場。そのセンスは、『エンド・オブ・デイズ』をはるかに良い。

  善悪の二元論を独特のユーモアで打破し、不安とあたたかさで約一時間にまとめ上げ、スピード感、躍動感、遊び心に欠くことなし。

  全編はデジタル・ビデオで製作され、フレーム落としなどの手法を駆使。『ヘンリー・フール』で復活したすがすがしいイメージに、『シンプル・メン』などの絵画的色彩感覚がブレンド。新たなハートリー・ワールドが誕生した。

  フォーマット、上映時間、上映形態など、従来の定式を破り、それでも「映画」そのもの。本当の自由な映画の未来は、『マトリックス』ではなく、この作品にある。

(3月25日より、UPLINK FACTORYにてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.11,2000年3月16日号]


トイ・ストーリー2 (1999,アメリカ)
★★★★1/2

  本当に面白い映画は、子どもも大人も一緒になって楽しめる。「おもしろかったあ」「でもちょっと感動した」「実は泣いちゃった」とか話しながら、気持ち良く劇場を出ていくのは、映画ファン最大の幸福である。

  そこで『トイ・ストーリー2』。前作『トイ・ストーリー』、『バグズ・ライフ』と、日本ではジョン・ラセター率いるピクサーの傑作陣が、「所詮子ども向け」と冷たく無視され続けたのに、今回はすこぶる前評判が高い。

 「子どもだまし」と「子ども向け」は別物。これは最高級、文句なしに面白い「子ども向け」映画である。

  前作を見ていない人でも十分楽しめる。前作を見た人は、ウッディ、バズをはじめ、ブタの貯金箱、スプリング式の犬の人形、臆病者の恐竜、UFOキャッチャーのエイリアンたちが、またも愉快に展開する大冒険に拍手喝采だ。

  今回はヴィンテージ物のおもちゃ仲買人(オタッキー!)の手で盗まれたウッディを助けるべく、救出作戦が、おもちゃたちによって展開される。

  ウッディの声はトム・ハンクスだから、この設定はもちろん『プライベート・ライアン』のパロディ。他に『七人の侍』『スターウォーズ』へのニクい目くばせもある。

  そして新キャラのウッディの"家族"がこれまたウレシイ。オキャンなウッディのガールフレンドが歌うミュージカル・ナンバーは、ディズニー・アニメを凌駕する素晴らしさ。21世紀アニメ界の主役は、ピクサーで決まりだろう。

  ここまで興奮させられるのも、ラセターをはじめとする四人の脚本家たちの、緻密な仕事ぶりの賜物。笑いあり、男の友情あり、懐かしい手触りあり、ブラック・ユーモアも効いている。加えて諸行無常すら感じさせる瞬間まで待っていて、「でも前向きにやろうよ!」のハッピー・エンドまで絶妙の手さばきで見せる。その力量に脱帽すると共に、「楽しませてくれてありがとう」と感謝したくなる。

  これ見て文句言うヤツは、よっぽど幸せになりたくないのだろう。『トイ・ストーリー2』上映館を連日超満員にすることこそ、日本国民が幸せになる一番の近道なのだ!

(3月11日より、日劇プラザ他全国東宝洋画系にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.10,2000年3月9日号]


ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ(1998,イギリス)
★★1/2

  ひとはなぜ天才の不幸を喜ぶのだろう。嫉妬か? 「天才は自分たちとは別人種」と自己正当化するため? 天才を不幸にするものは、「これは天才だ!」と騒ぎ、寄ってたかって食い物にする商売人とファンなのに。

  天才は死後にも食い物にされる。特に遺族がタチが悪い。自分では何もせず「あの人の素顔は……」と、真偽も定かでないことをネタに金にする。

 『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』は、今世紀稀有な天才チェリストの伝記映画。イギリス出身のデュ・プレはクラシック界では珍しく、批評家からも「ジャッキー」と呼ばれ、世界に愛されたプレイヤー。不慮の難病に見舞われ、十年以上の闘病の末に夭折した、伝説のアイドル。

  彼女の私生活を姉ヒラリーはスキャンダラスな伝記に書き上げ、今も英国ではことの真偽が議論されている。

  この映画はその伝記を下敷きにしつつも逆手に取り、ジャッキーの孤独を抱き締め、業績を讃える作品。

  前半ヒラリーの視点からジャッキーを描き、一応遺族に敬意を払っておいて、後半ジャッキー自身の眼で引っ繰り返すテクニックが、見事だ。

  そこに浮き上がるのは、「世界中を飛び回るスターの生活は、一般人には想像もつかない」「チェリストが演奏できなくなることは、死を意味する」などの現実。

  だがこの作品に「知ってるつもり?」的ヤジ馬根性はない。作り手たちはジャッキーの偉大さの意味を十分に理解し、彼女をひとりでも多くの人に理解してもらおうと努力しているからだ。

  結果クラシック愛好家から見れば無理のある描写もあるが、ベルリンでエルガーのチェロ協奏曲が響くとき、ファンは涙を禁じ得ないだろう。女デ・ニーロ化しつつあるエミリー・ワトソンもイヤ味を抑え、ジャッキーのイメージ再現に成功している。

  ラスト、作り手が天国のジャッキーに「それでもキミは、幸せだったんだよね」と心の花束を贈る瞬間に胸が詰まる。クラシック版『ローズ』というより、記録映画『JANIS』に通じる、愛と音楽の感動作である。

(3月4日より、日比谷みゆき座他全国東宝洋画系にてロードショー)

[集英社『週刊プレイボーイ』No.8,2000年2月23日号]


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