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(この色の作品は★★★★以上獲得作品です)
レイティングは★★★★★が最高点。
詳細はこちらをご覧下さい
ホーホケキョ となりの山田くん
夢幻琉球 つるヘンリー
エリザベス
アイズ・ワイド・シャット
プリンス・オブ・エジプト
枕の上の葉
プレイバック
ふざけんなっ!! 「ホーホケキョ となりの山田くん」は、「太陽の王子ホルスの大冒険」「火垂るの墓」の高畑勲監督だ。並のアニメとは訳が違う。
これはアニメの、いや、日本映画の歴史を塗り替えた、今世紀末屈指の金字塔なのだ。
とにかく映画館に行け。そして最初の15分間で腰を抜かせ。普通の日本人の平凡な生活が、「プライベート・ライアン」の冒頭30分、オマハ・ビーチ上陸のごとく、物凄い迫力でスクリーンに渦と巻く。
これはアニメならではの表現を使って、「人間の日常は、戦争なのだ」と描き込む、空前の映画である。
しかも、この戦争には敵がいない。倒すべき、憎むべき悪が存在しない。でも全編、笑いと涙とリラックスで頬を弛ませながら、突然現れる「人生」という戦争に、「うーん」とうならされる。
テンポの良い展開に、ついつい引き込まれてゆくうちに、「となりのトトロ」のネコバスをしのぐ、空飛ぶコタツに花火が飛びかう大団円を迎え、拍手喝采を送りたくなる。
こんな映画、見たことない。なーんにも特別な仕掛けやヒネリがなさそうなのに、とことん面白い。そして泣ける。感動できる。
思わず「幸せって、こういうものかもしれない」と呟いてしまい、心の片隅にあたたかいものが残る。
よおく考えてみてくれ。最近「幸せ」とか「希望」とか、「リラックス」って言葉を少しでも思い出したこと、あるか? 「そういうのって、ウソくさい」とか斜に構えて、心が荒れてないか?
かつてヴェンダーズは「ベルリン・天使の詩」で「なぜ平和な時代の叙事詩が語れないのだろう?」とセリフを残した。高畑監督は詩を語るために、敢えて四コママンガを題材にしたのである。世界は平和でなくなったが、いま「幸せの叙事詩」を創り上げることに、成功したのだ。
これぞ疑いの余地なし、アニメ―実写の枠を越え、映画を再生させる名作だ。
(7月17日より、全国松竹・東急洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.31,1999年8月3日号]
高畑勲監督作品論『平成狸合戦ぽんぽこ』(『キネマ旬報』1994年8月上旬号)『ホーホケキョ となりの山田くん』(『キネマ旬報』1999年8月上旬号) へ
夢幻琉球・つるヘンリー(1998,日)
★★★★
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(8月21日より、渋谷UPLINK FACTORYにてロードショー)
エリザベス(1998,米-英)
★★★
今年は夏まで、アニメやデジタル・ビデオ、記録映画は傑作が揃ったが、血沸き肉躍る人間ドラマが全然なくて、雑誌の映画欄担当者としても、一映画ファンとしても、欲求不満が溜まっていた。
そんなモヤモヤを一気に解消するように、秋の陣は傑作ぞろいで、ウレシくなる。
今週のお薦めは『エリザベス』。イングランド王室の皇位継承を描く、「格調高い=ダルイ」ドラマだと、勝手に想像して見に行ったら、目が点になった。
とにかくテンポが早い。しかも『恋に落ちたシェイクスピア』みたいに、観客をバカにしていない。
「ブラディ・メリー」の語源となった、メアリー女王とカトリック一派が、妾腹の王女、エリザベスを皇位につけまいと、刺客を差し向け、謀略をめぐらす、個人の情念と権力欲の渦巻く、どす黒いドラマ。
片や世間知らずの若きエリザベスが、自分の命を守るために防戦、逆襲。果ては最愛の恋人まで踏み躙り、自らカリスマ的「ヴァージン・クイーン」になる選択をするまで、一気に畳み込む。
つまり『極妻・イングランド版』的物語。だが、映画のノリは、往年の日本政界内幕物、『華麗なる一族』や『日本の首領』を、ローラー・コースターに乗せて突っ走らせたよう。「気持ちワルイけどイケてる」快感の連続だ。
英演劇界の大御所、ジョン・ギルガッドが、往年の佐分利信よろしく登場するのを筆頭に、ジェフリー・ラッシュ、ジョゼフ・ファインズら、男優は悪人顔のオン・パレード。
ヒロイン、エリザベス役は、若手の注目株、ケイト・ブランシェット。時代の傀儡となる悲劇の人なのだが、マルカム・マクダウェルのように不気味な貫禄が漂っていて、やっぱりヘン。
「英国王室物=格調高い」の定式を、素早いカット割りと、マシンガン・トークのような短いセリフの応酬で見事に破壊。2時間強の上映時間がと瞬く間に過ぎて行き、ラストは「え、もう終わり?」と、ビックリするくらい。
豪華で贅沢、現代的でちょっぴり奇妙な、大娯楽人間ドラマ。おんもしろいぞお!
(8月28日より、全国東宝洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.36,1999年9月7日号]
アイズ・ワイド・シャット(1999,米)
★1/2
黒澤明の『まあだだよ』、フェリーニの『ボイス・オブ・ムーン』……いわゆる"巨匠"監督の遺作には、どこかさびしい作品も多い。
映画監督がみなオタク化していった結果、スタンリー・キューブリックは"最後の巨匠"扱いを受けてきた。『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』は、ヴィジュアル志向の監督、観客の聖典と化し、『博士の異常な愛情』『バリー・リンドン』のクールな人間観察は、独自の無常感を漂わせていた。
後年のキューブリックは映像の力が命。それが前作『フルメタル・ジャケット』では凡庸な映像に終始。テーマも説得力を欠き、衰えが見えた。
あれから十余年、遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』。テーマはSEXで、成人映画指定。
だが、衝撃的な世界など、期待しない方が良い。上映時間2時間39分は意味なくダルイ。冒頭のニューヨークの舞踏会では、キューブリックの十八番、移動撮影を駆使するが、全くエロティックじゃない。主人公トム・クルーズが見る、妻の浮気の妄想描写は、あまりに古めかしい。話題の乱交パーティーは、『O嬢の物語』並に陳腐。
後半の「謎解き」は、『ローズマリーの赤ちゃん』の出来損ないのよう。ノロいテンポでもったいつけて、「それがどうした!」と突っ込みたくなるオチに、ため息が出る。
その上、全編のメッセージが「健全でお金持ちなボクたちは、アブナイ世界は関わらず、夫婦家族、仲良く平和に暮らしましょう」とは……こんな説教臭いキューブリックは初めてだ。
まるで「インポ・ジジイが、目一杯スケベなこと想像したけど、やっぱり立たなかった」って印象。これは問題作ですらない。金持ちジイサンの「私の履歴書」を読むように、ただ退屈なだけだ。
ただ、純情と猟奇を混ぜこぜにしたドラマが、"トレンディ"と受けるご時勢。この映画に"夫婦愛を描いた名作"と感動する女もいるかも。
確かに、人間心理を寓話としてしか描かないキューブリックと、空疎な"トレンディ"は相性が良さそう。"巨匠"もあの世でお嘆きだろう。
(7月31日より、全国松竹・東急洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』Nos.33/34,1999年8月17日/24日合併号]
プリンス・オブ・エジプト(1998,アメリカ)
★1/2
日本のアニメが質、マーケット共に、世界に比べ突出して成熟しているのは事実。
だから近年のディズニー、去年の『アナスタシア』など、欧米でヒットをした映画が、日本では惨敗に終わっている。
海の向こうでは「コンピュータの導入で、アニメがスペクタクルになった」と思われてるが、日本では、劣悪な条件下、アニメータの涙ぐましい努力で、充分スケールの大きいアニメが作られてきた。
だからスピルバーグ率いるドリーム・ワークスの『プリンス・オブ・エジプト』! と騒がれても……なのだ。が、そう捨てたものでもない。
アメリカ製「大作アニメ」の特徴は"一発芸"。ストーリーは弱いけど、90分前後のなかに、大がかりな見せ場が3ヶ所あればオッケー、のノリで作っている。
この映画も、キリスト教と無縁の日本人が、見て面白い話か、というと「?」だし、モーゼの「出エジプト記」の映画化としては、サブ・キャラが活きておらず、アニメの脚本をナメているのも事実。
でも実際、"一発芸"のスペクタクルは、日本アニメにない迫力。この映画でも、戦車競争のスピード感は、前例を見ない力がある。一番すごいのは、モーゼが自分の出生の秘密を知るところ。エジプト壁画が動き出し、一気にミュージカルになってゆくあたり、「オォッ」と声が出る。
『タイタニック』に興奮したキミに自信をもって勧められる、「大作アニメ」である。
また『プリンス・オブ・エジプト』の戦車競争の描写は、『エピソード1/ファントム・メナス』のポッド・レースに酷似。双方の元ネタも、聖書絡みの大作『ベン・ハー』(59)だ。
(7月24日より、全国東宝洋画系にてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.31,1999年8月3日号]
枕の上の葉(1998,インドネシア)
★★★
要するにカネなのである。どんなにカッコつけたところで、いま全世界が荒れているのは、みんなラクして金持ちになりたがってるからである。
アホである。共産主義の幻想が死んだいま、ラクして金持ちになる方法は犯罪しかない。つまり「他人を騙し、踏み付けにしてでも、カネを儲ける」だ。だから売春もドラッグも蔓延するのだ。
悲しいことだ。食うに事欠くというならともかく、「カネでは買えない夢」を、なぜみんな持てないのか?
スハルト政権下(当時)のインドネシア、大都市ジョグジャカルタのストリート・チルドレンを描いた『枕の上の葉』は、現代の地獄を描いた大傑作である。
映画に登場するのは、本物のストリート・チルドレンたちだ。盗み、シンナー、少女売春、裏切り……いろんな犯罪が飯を食う日常と同列に登場する。ローティーンからハイティーンまで、本物のヤクザものになる直前の子供たちの生きざまが、フィクションとは思えないリアリティで迫ってくる。
子供たちは精一杯イキガッて生きる。そこには友情もある。みんなが「ママ」と頼る中年の売春婦もいる。束の間の幸せに笑顔を輝かせる。そして「大人の世界の汚い論理」や、「子供ゆえの考えの至らなさ」で命を落として行く。
80年代、シアトルのストリート・チルドレンを描いた大傑作『子供たちをよろしく』という映画があった。あれから十余年。『枕の上の葉』は現代を代表する衝撃作として登場してきた。
この映画は現代の鏡だ。キミが何歳だろうと、ここに登場する少年・少女たちの悲しい脱力感と、遣る瀬なさの一瞬に現れる真のやさしさに、必ずどこかで共感するはずだ。 『トレイン・スポッティング』以降流行の「どうせ汚い世の中なら、やったモン勝ち」的犯罪礼賛、甘ったれからは、何の未来も生まれはしない。
世紀末という言葉の有効期限が切れつつある、この瞬間に、『枕の上の葉』と取り組むことは、現代の若者が生きるための条件なのだ。"一九九九年七の月"に、最もふさわしい作品である。
(7月10日より、岩波ホールにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.29,1999年7月20日号]
プレイバック(1997,フランス)
★★1/2
ミュージシャンのサクセス・ストーリーには、なぜか傑作が少ない。実在の歌手の伝記ものなら佳作があるが、完全なフィクションでハッピー・エンドとなると、意外と思い当らない。
そこでこの夏公開の『プレイバック』。ヴィルジニー・ルドワイヤンが華原朋美してくれる、うれしい快作なのだ。
お話は「朋ちゃんがセリーヌ・ディオンの歌唱力を引っ提げて、宇多田ヒカルのように鮮烈のデビューを飾る」という代物。
「そんなウマイ話あるかよ?」と突っ込みを入れたキミは正しい。ヴィルジニー演じるジョアンナ、実は歌がチョヘタなのである。
彼女を一躍スターダムに押し上げたのは、TKならぬ、友人のジャンヌ。才能豊かなシンガーで、ソングライターなのだが、外見がダサクて芽が出ない。
そこでふたりは『雨に歌えば』テクニックで、全フランスを熱狂させるユニットを組むことに。
お決まりの展開であるが、この映画のウマイところは、ジョアンナとジャンヌが、仲良しの幼なじみという設定。男遊びにクスリに自殺未遂と、マジで朋ちゃんになった(?)ヴィルジニーを、ジャンヌの友情パワーが「キン肉マン」よろしく立ち直らせ、万事円く納まるハッピー・エンドへと流れこんでゆく。
ヴィルジニーのヌードあり、衣裳の早変わりあり、大スタジアムのダンスあり。この夏単館作品で一番楽しめる、意外な伏兵だ。
『プレイバック』を彩る歌は、大半がジャンヌ役のマイディ・ロスの作品。彼女は本業はミュージシャン。ポジティヴ・シンキングの歌詞と甘いメロディをロック・ビートにのせた歌は、Jポップス・テイストに近く、結構イケてる。
(7月10日より、新宿シネマミラノにてロードショー)
[集英社『週刊プレイボーイ』No.28,1999年7月13日号]
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